う……」
「渋谷? よし来た。どこだって送ってってやるよ。どうせ昼間は遊びだもの……」
隆山は袂の底を小銭でちゃらちゃら音させながら、啓吉を連れて表通りへ出た。啓吉は、濡れた靴が気持ち悪かったが、四囲が爽かなので、じき忘れて歩いた。二人は電車通りにある一膳めし屋に這入った。まず壁に――朝飯定食八銭――と出ているのが啓吉に読めた。
「定食二人前くンなッ」
隆山が意勢よく呶鳴った。
その定食という奴が若布《わかめ》の味噌汁にうずら豆に新香と飯で、隆山は啓吉の飯を少しへずると、まるで馬のように音をたてて食べた。
「小僧! 美味《びみ》か?」
「…………」
啓吉は只目で合点《うなず》いた。合点きながら、返事をしいられる事が何となく厭だった。だが飯も味噌汁も啓吉には美味《うま》い。うずら豆の甘いのは、長い間甘いものを口にしない啓吉にとって、天国へ登るような美味さであった。
飯屋を出て、すぐ市電へ乗った。隆山は心のうちで尺八でも吹いているのか、こつりこつり首で拍手を取っている。
窓外を見ている啓吉の目の中に段々記憶のある町が走って来る。――渋谷の終点で降りると、隆山は陽向《ひなた》に目
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