と、男が泊ってゆく度、母親が弁解していたが、薄目を開けて寝ると、眠っていても声をたてる事がある。
朝になって啓吉は目覚めて見ると、夢に見たものが、部屋いっぱい散らかっていた。自分のそばには運転手や助手達が三四人も大鼾《おおいびき》で寝ていた。隆山は寝床に腹這ったまま手紙のようなものを書いている。
「どうだ! ゆんべ[#「ゆんべ」に傍点]は寝られたかい?」
「…………」
「中野まで送ってゆくかな。安心しな」
「ねえ、ここはどこ?」
「ここか、ここは神田|美土代町《みとしろちょう》さ……」
手紙を書き終ると、隆山は厚い唇で封をしめして、「さて、これで田舎の神さんも御安心だ」と、立ちあがるなり、裏の小窓を開け、尿を二階から飛ばした。
寝ていた啓吉にはその小窓がよく見えた。雲の去来を見ていると、啓吉は、雲が一つ一つ生きているように思えた。
「なぜ、雲は浮いたり走ったりするの?」
「雲かい? さア、煙だから軽いンだろう……」
啓吉は学校へ行って先生に訊くに限ると思った。陽が当っていい天気のせいか、啓吉は革の匂いのするランドセルが懐しくなった。
「僕、やっぱりねえ、渋谷の叔母さんとこへ帰ろ
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