けでは食ってゆけないらしく、時々、酒場の多い街裏を流して歩いてゆくのであろう。
「明日は鱈腹《たらふく》飯を食って、お母さんとこへ帰ってきゃいいよ。なア、おい、中野の駅まで行けば道が判るのかい?」
啓吉はうなずいた。
酔っぱらった叔父をおでん屋へのこして来たままどこを歩いたのか、尺八を吹く男に拾われてこんなところへ来たのさえ不思議で仕方がない。礼子ちゃんは寝てるかな。母さんも眠ってるだろう……啓吉は、あの男と母親が、愉しそうに笑いあっているのではないかと思うと、自分が余計者のようで不図涙が出た。
「おい、ほら鮭が焼けたぜ」
いっぱい飯の盛られた飯茶碗を胸の辺へかかえ上げると押入の方で蟋蟀《こおろぎ》がりいい……と鳴き始めた。
「ああッ」
啓吉はごくんと飯の塊を飲み込み、植木鉢の下に伏せた、雌を呼ぶ蟋蟀の物哀しい声を何気なく思い出した。
十
飯を食べた。布団の中へもぐり込んだ。
深夜になると、何台も自動車が帰って来るようで、ギイッと階下の車庫の中へ滑り込む自動車のブレーキの音がしていた。啓吉は色々な夢を見た。
「この子は薄目を開けて眠るので気味が悪いわ」
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