顔を思い浮べた。その男の顔は、目が大きくて、鼻の頭が脂肪で何時もぎらぎらしている様な顔であった。
 啓吉が一番嫌いなのは、平気で母親に向って、「おいおい」と呼び捨てにすることや、けしからんことには、啓吉を「小僧小僧」といったり、全く、この男については何ともいいようのない胸悪さを持っていた。
「啓ちゃん!」
「…………」
「啓ちゃんてばッ、まだ泣いてンのかい?」
「…………」
「しぶとい子供だねえ、そんなとこに呆んやりしてないで、さっさと井戸端でお顔でも拭いていらっしゃい! ええ?」
 母親の貞子は、そういって、歪《ゆが》んだ雨戸をがらがらと閉ざし始めた。啓吉は黙ったまま井戸端へまわったが、ポンプを押すのもかったる[#「かったる」に傍点]くて、ポンプに凭《もた》れたままさっきの蟋蟀のことを思い浮べていた。絵本を見るような動物の世界を、啓吉は不思議な程に愉しく思い、どこからかガラス鉢を盗んで、あの二匹の蟋蟀を飼ってやろうかと思った。
「兎《と》に角、素敵に面白いからなア……」
 と、ニヤリと笑うと、急に思いついたように、ギイコギイコポンプを押し始めた。
「啓ちゃん! 早くなさいよ、渋谷のお
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