えない程低く見えた。
 街には昼間から灯がついていて、人力車が一台ゆるゆる走っていた。ラジオが聴える。がちゃがちゃした音楽だった。
「まだかな」
 啓吉は悄気《しょげ》て大きな傘をブランブラン振った。
「おい啓坊!」
 啓吉はほっとして傘を持ちあげてビルディングの玄関にいる勘三のそばへ傘を持って走った。
「ここも大入満員だ」
「どんな人がいるの?」
「叔父さんみたいな立派な人が沢山いるンだよ」
「…………」
 啓吉が黙っているので、勘三も黙ったままぽつぽつ歩いた。「さてどこへ行くか」勘三は不図立ち停まって、封筒から原稿を出すと、新しい原稿を出して、その封筒へ入れ替えた。
「今度は新聞社だ」
「新聞社?」
「ああ」
 いよいよ啓吉の靴は重くなった。裸の脚ががたがた震えた。マークのはいった旗をつけた新聞社の自動車が、幾台も並んでいる所へ出た。勘三はそこで物馴れた容子でのこのこ階段をあがって行った。啓吉は草臥《くたび》れてしまって、入口の石段に傘をすぼめて腰をかけた。雨がにわかにひどくなった。自動車の旗がべろんと濡れさがっている。舗道は雨で叩きあげられて乳色に煙をあげていたが、新聞社の自動車
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