彼も面白くなかった。
「おい啓坊! 中の叔母さんのとこへ行ってもおとなしくしてるンだぞ、ええ?」
「うん」
「啓坊の母さんがなってないから、まるで啓ちゃんが宿無し猫みたいじゃないか、ううん?」
「…………」
「さて、叔父さんは雑誌社へ寄って、叔母さんの務め先に電話を掛けてやるから、叔父さんが出て来るまで、外で待ってるンだよ」
 有楽町で降りて、銀座裏の雑誌社まで歩くと、啓吉のズックの運動靴は、水でびたびたして来た。赤や緑の服を着た珍しい女達が通っている。
「大きな町だろう?」
「…………」
 雑誌社の前へ来ると、勘三は啓吉に雨傘を高くかかげさして、身じまいをなおすと、一つの原稿を封筒へ入れて、
「じゃ傘さして待ってな、あっちこっち行くンじゃないよ、すぐ出て来るから……」
 馬に乗ったような意気込みで、扉を開けて這入って行ったが、勘三がビルディングの中へ消えてしまうと、啓吉は寒さと心細さで、何度すすっても鼻水がこぼれた。ここから、母親のそばまではもう帰れない程遠いのではないかと思った。舗道の三和土《たたき》へ当る雨が、弾《は》ねあがって、啓吉の裾へ当って来る。傘が大きいので、啓吉の姿が見
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