と樹林が深く被さつてゐる。右側の岩壁へ上つて、白い道へ出ると、トラックの停つた家や、バラックの飮屋のやうな家が一軒あつた。道には、黄ろい鷄が六七羽餌をついばんでゐる。吊橋を渡つて、船で教つた安望館と言ふのへ向ふ。吊橋のすぐそばの小高いところに、バラック建ての旅館が眼にとまつた。
急に四圍が暗くなり、雨がぱらつき出した。一ヶ月三十日は雨だと聞いたが、陰氣な雨であつた。宿は※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]送問屋のやうなかまへで、藁包みの積み上げてある荷物の横から、女中の案内で二階へ上つた。板をたゝきつけた床の間にはランプがさがつてゐた。床の間いつぱいに、俳句を書きつけた紙が張りつけてあつた。吊橋と川を見晴せる廊下があり、陰氣な部屋の割合には、見晴しがよかつた。青い景色のなかを、雨がしのつくやうに降り始めた。
朝晝を兼ねた食事を註文した。若く太つた女中は洋服を着てゐた。二階は三部屋つゞきだつたが、表の間には、一緒のはしけ[#「はしけ」に傍点]で來た種子島の税務官吏が來てゐた。二三人で聲高に喋りあつてゐる。同行の中山君と河内君の三人で火鉢を圍み食事をする。オムレツに薄い味噌汁。黒塗りの飯びつにぎつしりと御飯が詰めこまれてゐる。表の間の税務官吏の話をきれぎれに耳にはさみながら、かうした離れ小島にも、税のとりたてはきびしいものだとうかゞへた。いづこも人の世ではある。
食事のあと、雨のなかを、營林署へ行く。
軒の低いバラックが狹い道をはさんで並び、女や子供は裸足で歩いてゐた。砂地の白い道だつた。鷄は濡れ鼠になつて、家々の前で餌をついばんでゐる。家のすぐ後には、峨々とした南畫風な高い山々が連なり、この山岳を八重嶽の總稱で呼ぶのもうべなるかなと思へた。山が多いせゐか、大小の河川が百二十もあるのださうだ。全島山地で、傾斜が甚だしく、降雨の時は、水嵩が増加して、激流急奔すると聞いた。道のところどころに、長いひげ[#「ひげ」に傍点]をたらしたがじまる[#「がじまる」に傍点]の大樹が繁つてゐる。
木造の營林署では、丁度晝食時だつたせゐか、事務室のなかには誰もゐなかつた。十分ほど待つて、庶務課長の境田氏が、近くの官舍から食事をして戻つて來た。がらんとした應接間に通ると、農林技官の徳川弘氏もはいつて來て、境田さんに紹介された。小林秀雄(評論家)そつくりの風貌である。なつかしい氣がした。根つからの山好きと見えて、二時頃、この雨中を押して、トロッコで小杉谷へ登るといふことなので、私達も同行させて貰ふことにする。小杉谷までは、トロッコで二時間あまりださうで、山の中はよほど寒いと聞いた。
屋久島は、營林署の仕事をさしおいては何も語れないほど、道も電氣も、營林署でつくつたものだと聞いた。徳川さんは佐賀の人であり、境田さんは宮崎の人で、根つからの屋久島の人ではないので、屋久島のくはしい話を聞くよすがもなかつた。籐椅子に腰をかけてゐても、風邪で、熱が三十七八度はある樣子で、私は非常に疲れてゐた。たまらなく眠くもあつた。昏々として、躯が沈みこみさうである。雨はねばつくほどの昏さで降りこめてゐる。
營林署の管轄になる土地は二萬ヘクタールに上るのださうで、すべて官有林で、こゝでは屋久杉が有名である。私は、何も印刷したものがないといふので、こゝでは、メモを出して、樹木の名前を寫させて貰つた。
すぎ、もみ、つが、ひのきがや、いぬがや、あかまつ、くろまつ、やくたねごよう、こなら、かしは、かしはなら、くぬぎきり、つるまんりよう。
ようらくつゝじ、いはがらみ、みやましぐれ、なゝかまど、羊齒類。
雨にあたつたせゐか、腕がちぎれるやうに痛い。額に手をふれると、かあつと熱い。雨はぴしやぴしやと硝子戸の外に音をたてて降つてゐる。徳川さんがトロッコの支度をしてくれるといふので、私達は一應宿へ戻り、山へ登る支度をする。ノーシンを二服のんでみる。古い藥とみえて、散藥は落雁のやうに舌に固まる。急に日沒が來たやうに、眼がくらみさうになつた。
身支度をして、階下の板の間へ降りてみた。行商の女が、鯖のなまり[#「なまり」に傍点]を賣りに來てゐた。片身二十圓だと言ふ。もの好きに、私も三本ばかり買つてみる。狹い石の段々のところで、十五六の男の子が、かけひ[#「かけひ」に傍点]の水のところで、鷄を料理してゐるのをも珍しく眺める。雨に濡れながら、男の子は器用な手つきで鷄を料理してゐた。
トロッコの支度はなかなか出來ないとみえて、私は待ちくたびれてしまつた。鹿兒島を隔たること九十七哩、東西六里、南北三里二十七町のこの山深い島に、私はいまぼんやり渡つて來たのだ。寒いせゐか、店先の火鉢に蠅がゴマを撒いたやうにぴつちりとまつてゐる。スケッチをするつもりだつたが、熱つぽくて何事にも興味がない
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