の白い砂地の道が、挨つぽく見えた。西之表も空襲を受けたとかで、瓦屋根を白いシックイでかためた港の家々が新しい感じだつた。
下船の支度をしてゐると、私は、こゝで、突然に、町長の最上さんと、種子島時望さんの出迎へを受けた。たしか、種子島時望さんは、以前は男爵か何かの爵位を持つた人だと記憶してゐる。紺の上着に灰色の洋袴で、おとなしい、品位をそなへた中年の紳士であつた。私は種子島さんの案内で西之表の町を歩いてみた。種子島さんの後姿には、ひどく孤獨な、そして、一種の淘汰を受けた性格が、この平凡な島を背景に感じられて、私は作家的な眼で、種子島さんを觀察してゐた。私は種子島には興味はなかつたが、人間の種子島さんには非常な興味を持つた。丘へ登り、港を見降し、丘の小徑を歩き、珍しい五輪の墓地や、がじまる[#「がじまる」に傍点](榕樹)の樹の下を歩いて、坂の下の小さいカヂ屋の前に來て、店先の硝子箱にはいつた鋏に眼をとめた。暗い店の中には、仕事前だれをかけて、鳥打帽子をかぶつた老人が鋏をつくつてゐた。軒のひくい入口や仕事臺の上に、目白籠がいくつもぶらさげてあつた。私はこゝで鋏の出來るまでの工程を見せて貰つた。このカヂ屋さんは、日高さんと言つて、十六歳の頃から鋏ばかりつくつてゐると聞いた。手づくりなので、一日十挺くらゐつくるのが關の山だといふことである。私はこの素朴な鋏つくりの老人がすつかり氣に入つた。目白の籠のなかは、氣忙しい鳥影が動きどほしである。木炭を盛りあげたフイゴを押すと暗い土間に火花が彈けた。
私は暫く、この島に住んでみたい氣がしてゐた。東京の刺戟はこゝには一向に見られない。電氣も三日目くらゐにはつくと聞いた。魚屋が町の到るところにある。
八時頃船に戻つたが、珍しく霧を噴いたやうな月が出てゐた。醉つぱらひが大聲でわめきながら、女を連れて船室を開けて歩いてゐる。女も醉つぱらつてゐるのか、下駄の音をさせて、船室の前を蓮つぱに笑ひながら走つて行く。九時過ぎに、船は出航した。にぶいエンジンの音を枕に聞きながら、種子島で多くの人々に逢つたものだと思つた。種子島では、私は島の藥屋で、ソボリンとノーシンを買つた。醫者をしてゐる町長の最上さんも、親切に風邪藥を調合してとゞけてくれた。私はノーシンを一服のんで寢室へ横になつた。
目的の屋久島はもうぢき眼の前に現れるだらう。屋久島は昔はゆく[#「ゆく」に傍点]島とも言つたさうだ。ゆく[#「ゆく」に傍点]は鹿の意味ださうである。鹿の多い島で、昔は鹿の皮が貢物の全部であつた時代もあるのださうだ。地圖の上で見る種子島は長い島だが、屋久島は圓い島だ。
朝、五時頃、屋久島が見え始めた。
宮の浦と言ふところの沖合ひへ六時頃着いたが、こゝは棧橋がないので、小さいはしけ[#「はしけ」に傍点]が客を迎へに來た。デッキへ出ると寒いくらゐだつた。島は思つたより屹立して、山々が黒いビロードを被たやうに連なつてゐる。遠く白い砂地のなぎさが見え、レースのやうに波が打ち寄せて、人家はあまり見えない。船着場の岩壁の上に、大きな材木が積んである。
九時頃、やつと、船は安房《あんばう》へ着いた。こゝでも港がないので、照國丸は沖合ひへ停泊するのだ。
凄い山の姿である。うつたうしいほどの曇天に變り、山々の頂には霧がまいてゐた。全く、無數の山岳が重疊と盛り上つてゐる。鬱蒼とした樹林に蔽はれた山々を見てゐると、人間が住んでゐる島なのかと思へるほどだつた。
島には米がないといふので、鹿兒島では米を五升ほど買ひ求めた。二食分の辨當も宿でつくつて貰つたが、私達はあまり食欲はなかつた。船のなかではコヽアを註文したきりである。
下船の支度をしてデッキに出ると、案外早く小さいはしけ[#「はしけ」に傍点]が迎へに出てゐた。照國丸は一週間さきでなければこゝへはやつて來ないのだ。あとは、三百トンくらゐの便船しかないと聞いた。はしけ[#「はしけ」に傍点]に乘りうつると、はしけ[#「はしけ」に傍点]は二十人くらゐの下船のものたちでいつぱいになつた。荷物も人もはしけ[#「はしけ」に傍点]の渡し賃を取られた。三人の船頭が櫓をこいでくれた。安房の港は大きな川の入江にあつて、正面の川の上に素晴しく巨きい吊橋が見えた。なぎさに近づくにつれ、岩礁が點々と波間に見えた。海水は底を透かして澄みわたり、みどり色の海がある。はしけ[#「はしけ」に傍点]はなかなか速くは進まなかつた。川の入江に、景山丸と言ふ三四百トンばかりの白い材木船がもやつてゐるきりだつた。寒い雨氣をふくんだ風が吹きつけてゐた。
やがて、はしけ[#「はしけ」に傍点]は白い砂地へ横づけされた。砂地へ飛び降りて、吊橋へ向つて歩く。吊橋の下を深い淵をなして、上流へ川がくねくねとつゞいてゐた。淵のきはは、こんもり
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