。それに暑くて、咽喉もかわいてゐる。
とある、小さい書肆にはいつて、朔太郎の「宿命」を、なにがしかの金に替へた。全く、なにがしかの金額といふにふさはしい売り値で、専造は本を手離す時、胸がうづいた。
貧しい学生から、たつた一冊の本すらもうばつてゆくこの世のあはれさを、見参して、専造は、いつか口癖になつてゐる、「都に、骸骨あえれ、犬を、猫を、むさぼり食ふはいつの日ぞ‥‥」と、妙な唄をくちずさんでゐる。
「専造さん」
「何だ」
「俺、眼がまひさうだなア‥‥」
「えツ?大丈夫か、おいツ!」
専造はあわてて、五郎を抱くやうにして、書肆の横丁にある氷屋にはいつた。
「水を一杯下さいツ!」
紺絣のうはつぱりを着たねえちやんが、なみなみと二つのコツプに水を持つて来てくれた。思ひがけない親切である。
五郎は青い顔をして一息にその水を呑んだ。
四時半には、もう起きて雨戸を開ける。
南が吹いてゐる[#「南が吹いてゐる」はママ]ので、馬鹿に暑い。だが、四囲は晴れてゐる。
ガスに火をつけると、只、ごうごうと臭い風が鳴つてゐるきり、ガス屋さんは、今朝も御倹約ね‥‥。定子は、仄明るい格子窓に、朱色
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