にはいかねえその用てえのは、な、何ですね」
「うむ! きゃつら十七人が肚《はら》を合わせ、一人の拙者を嬲《なぶ》りになぶり、拙者もついに勘忍《かんにん》ぶくろの緒《お》を切って、事こんにちに到ったのだッ!」
「へえ。そういう噂《うわさ》は伺いやしたが、それで――?」
「恨《うら》みは、戸部近江一人ではないッ!」
「と、申しますと?」
「残った十七人だ」
「そこで?」
「拙者はこれから一生、いや、一生で足らずば二生も三生もかかって、この十七人を順々に打ち取り、十七個の生首《なまくび》をずらり[#「ずらり」に傍点]並べて――壁辰どの、その上で、改めて貴殿の手にかかり、神妙にお繩を頂戴いたすッ!」
「えッ! その十七人の御書院番衆を、これから、片っ端《ぱし》から首を落して廻るんですって?」
「そうだ。最初に首の落ちるのは、大迫玄蕃である」
「それはもう決まっているんで――?」
「勿論先方は知らん。が、拙者はそう決めておるのだ」
「うわアッ! 助からねえなア!」
「これこれ、壁辰殿。そういうわけであってみれば、折角《せっかく》だが、きょう貴殿に押えられて、突き出されるという仕儀《しぎ》には参らぬ」
「じょ、冗談《じょうだん》じゃアねえ。そっちにシギがなくてもこっちにそのシギとやらが大ありなんだ――お前さんの言うように、そうお歴々の首がころころ落ちて堪るもんか」
「堪るも堪らぬもないッ! 拙者は、一つずつ落してゆくのだッ!」
「吐《ぬ》かしゃアがれッ! 言わして置けば、勝手な音をほざきやがる。おめえさんはどんなに腕《うで》が立つか知らねえが、先様だって、藁《わら》人形や据《す》え物じゃアあるめえし、そう口で言うように、立派なお侍さんの首がスパスパ転《ころ》がってお堪《たま》り小法師《こぼし》があるもんか」
「ふうむ。よし! もし転《ころ》がったらどうする」
「どうもこうもねえ。その前《めえ》にてめえを引っ縛《くく》るのだ」
「これ、壁辰殿、拙者は、かほどまでに事理《こと》を別けて頼んでおるではないか――こういう用がある以上、いま直ぐ貴殿の繩にかかるという訳には参らぬが、その代り、何年、いや、何十年かの後、この十七人の十七人目、最後の一人を首にしたその日に、拙者のほうから必ず再びこの家へ参って、その時こそは逃げも隠れもせず、この両の手をうしろへ廻して、笑って貴殿の繩を受け申そう。武士のことばだッ! 二言はないッ! 誓《ちか》うぞ壁辰どの、どうだッ? 今日のところは眼をつぶって、この拙者に無用の血を見せずに、このまま戸外《そと》へ放《はな》してくれるかッ?」
 真剣《しんけん》だ。復讐魔《ふくしゅうま》と化しさっている喬之助の一語一語が、剃刀《かみそり》のように冷たさをもって、戸を貫いて壁辰の胸を刺《さ》す。
 が、壁辰は笑い出していた。
「げッ! お前《めえ》さまの身体《からだ》にゃア八百八町の御用の眼が光っているんだ」
「存じておる。ほかの者なら頼まぬ。黒門町の壁辰と見込んですべてを打ちあけて頼んでおるのじゃ」
「煽《おだて》は利《き》かねえや。なあ神尾さま、おめえさんは、このあっしを岡っ引きと知って来なすったかね?」
「――――」
「内実《ないじつ》は、ただの左官職と思って、しばらく下塗《したぬ》り奴《やっこ》にでも化けこんで、御公儀《ごこうぎ》の眼をくらます気でか」
「それは、言うなら、そのつもりで来たのだ」
「と、飛んでもねえ。虫が好過《よす》ぎらあ――神尾さん、あんたのおかげで、罪もねえ奥様や、また弟御《おとうとご》や伊豆伍夫婦まで召し捕られて強《き》つい御|詮議《せんぎ》の憂目《うきめ》を見ていなさるのを、あんたは、まさか御存じねえわけではありますめえ――悪いことは言わねえ。何にも言わずに、このおやじの顔を立てて下せえ。そりゃアお手当てになりゃア、切腹か打ち首か、あんたのお命《いのち》は無えものだが、あっしも、黒門町と言われる男だ。しが[#「しが」に傍点]ねえ渡世《とせい》こそしているが、あんたのお繩を最後に、立派に十手を返上して――頭を丸めやす。へえ、坊主になって、一生あなた様の後生《ごしょう》をおとむらい申しやす。どうか、どうか――神尾さま、観念して、このおやじに縛らせて下せえまし――」
 うウむ!――と、鉄より強い情《じょう》の金《かな》しばりだ。神尾喬之助の唸《うな》り声を耳にすると、台所の片|隅《すみ》にうずくまって、さっきからこの問答を聞いていたお妙が、このとき、わッ! と哭《な》き伏《ふ》したのだった。

      六

「やかましいぞ。お妙《たえ》! 汝《われ》ア何も、泣くこたアねえじゃねえか」
 と、はじめて娘の存在に気がついて、そっちを振り向いた壁辰は、こうお妙を叱《しか》りつけながら、そのくせ自分も、は
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