ん日はおめでとうございます。何ともはや、お盛んなことで――いえね、大した評判《ひょうばん》でございますぜ。今度の筆屋さんの御普請《ごふしん》と来た日にゃアほんとに、追従《ついしょう》じゃアございません、へい、三井さんや鴻《こう》ノ池さんでも、こう申しちゃア何ですが、あんな豪勢な真似《まね》は出来めえ、なアんてね、へっへ、江戸中の職人衆のとり沙汰《ざた》でございますよ。へい」
なんかと言うのを、幸兵衛父子は、軽く左右に受け流しながら、それでも、流石《さすが》に嬉しそうににこにこ[#「にこにこ」に傍点]している。
人混みを潜《くぐ》って、壁辰も幸兵衛に挨拶したのち、酒や餅にそれぞれ喰らいついて離れようともしない弟子達はそのまま残して置いて、ひとり筆屋の店を出た。
振舞い酒に好い気持になった連中が、向うから来る廻礼の[#「廻礼の」は底本では「廻体の」]女なんかをひやか[#「ひやか」に傍点]しながら、木遣《きや》りの声を張り揚げて流してゆく。
明るい日光が街にみなぎって、門松の影がゆらゆら[#「ゆらゆら」に傍点]と燃えているように見える。
きちがい陽気――。
どこからか外れ飛んで来た羽子《はね》が、ヒョイと壁辰の襟首《えりくび》に落ちた。女の児が追っかけて来て噪《さわ》ぎ立てる。壁辰は、にっこり掴み取って、投げ返した。
紺の腹掛け※[#「ころもへん+昆」、345−上−1]襦《ぱっち》に粋《いき》な滝縞《たきじま》を重ね――苦《にが》み走って、いい親方ぶりだ。
黒門町。自宅の前。格子を開けようとして覗《のぞ》くと、見|慣《な》れない麻裏《あさうら》が一足、かれの帰りを待ち顔に並んでいる。
二
じろり――茶の間に待っている客を横眼に白眼《にら》んで、奥へ通ろうとした。が、その時、ふと壁辰の胸底《むね》を走り過ぎたものがあって、彼は、どきり[#「どきり」に傍点]とした。思わず、足が停まった。客は室内、壁辰は茶の間のそとの細《ほそ》廊下――だが、顔が合った。無言である。面と向って、立った。
職人風の若い男――神尾喬之助を、壁辰は、どこかで見たような気がしたのだ。見たような顔! 見たような顔!――咄嗟《とっさ》に、眼まぐるしい思案が、壁辰の頭脳《あたま》を駈《か》けめぐった。と! 思い出した! ぴイン! と来たものがある。そうだ! この元日に西丸御書院番組与頭、戸部近江之介を叩ッ斬《き》って、その生首を御番部屋へ投げ込んで逐電して以来、今まで土中に潜《もぐ》ってでもいたか、頓《とん》と姿をくらましていた――神尾喬之助! ううむ、この日頃、きつい御|詮議《せんぎ》で、詳しい人相書が廻って来ているのだ。
あの人相書とこの若造《わかぞう》!
服装《なり》かたちこそ変っているが、おれの眼力《がんりき》にはずれはねえ。それに、それほどの美男が、いくら江戸は広くても、そうざらにあるはずはない。そうだ! この奴《やっこ》こそ、いま江戸中の御用の者を煙に巻いている神尾喬之助というお尋ね者に相違はねえのだ――! と、気が付いた途端《とたん》、一時ははっ! とした壁辰も、ふところ手のまま身構えていた身体をゆるめて、ちょいと、口尻《くちじり》に薄笑いを浮べた。
野郎! 百年目だッ! この壁辰が、御用十手を呑んでることを、知って来たか、知らずに来たか――この、蟻《あり》一匹逃がさねえ見張りの真ん中へ、しかも、人もあろうに、黒門町の壁辰のところへ面《つら》ア出すとは、飛んで火に入る夏の虫てえやつで、いよいよこいつの運の尽《つ》きだ――壁辰は、黙《だま》ったまま、じイッ! と、焼くように、喬之助の眼を見|据《す》えた。
壁辰は、左官が本職で、旁々《かたがた》お上《かみ》の御用もつとめているのである。岡っ引きとして朱総《しゅぶさ》をあずかり、その方でも、いま江戸で、一と言って二と下らない眼利《めき》きなのだ。まったく、喬之助はこのことを知ってこの黒門町へ来たのだろうか――それとも、ただの左官職とのみ思って、一時、下塗《したぬ》り奴《やっこ》にでも紛《まぎ》れ込んで八丁堀の眼を誤魔化《ごまか》すために、進んでここへ現れたのであろうか?
かなり長い間だった。
だんまり[#「だんまり」に傍点]なのである。
双方、眼に力を持たせて白眼《にら》み合っているのだが――喬之助は?
と、見ると、娘がひとり留守番をしているところへ上って待っていた、その壁辰が帰宅《かえ》って来た――のはいいが、一|瞥《め》自分を見るより、つ[#「つ」に傍点]と血相を変えて、いま眼前に立ちはだかったまんまだから、脛《すね》に傷持つ身、さては! お探ね者の御書院番を見破られたかな?!――と、今、ここで訴人《そにん》をされて押えられては、この七日間、苦心|惨憺《さ
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