、長庵! この換玉《かえだま》は貴様の思いつきか、それとも山城も承知の上でか。とにかく、今夜はこの娘をつれて早々退散しろ。下谷黒門町とやらの家まで送ってつかわすのだ。山城のほうへは、当方より追って挨拶いたす」
「何を言っているんですよ」お六だ。嫉妬半分《やきはんぶん》である。「あなたが色好《いろごの》みで変な気を起すからこんなことになるんですよ」
「貴様は黙っておれと申すに! 妙……と申したな、今に此家《このいえ》に血の雨が降るから、長庵坊主にクッ着いて早速引き取れ」
 途端に五人は、言い合わしたように声を呑んだ。
 笑い声がする――どこからか、クックックッ……忍《しの》び笑《わら》いの声がするのだ。
 わアッ! と柄《がら》にもなく、悲鳴を揚げたのは長庵だ。
「それ御覧なさい。だから言わないこっちゃない。首が――首が笑っているじゃアありませんか」
「何でもよい!」グッと威を示した造酒だ。「坊主は娘の手を引いて下谷へ急げ!」
 呶鳴《どな》ったところで、忍び笑いがもう忍び笑いではない。公然と、ゲラゲラ笑う声が近くに起って、ズサリ! 首を奉安した座敷、その床の間わきの押入れを内部《なか》から開けて、のそりと立ち出でた異装の人物がある。家の中で釣り竿《ざお》を担いでいるさえあるに、その挨拶がまた、恐ろしくサッパリしたものだ。
「首を供《そな》えたのはわしじゃよ。お手前は、神保先生じゃろう。一つ、釣り上げてくれよか」
 というのである。言わずと知れた魚心堂大人だ。妙見勝三郎の首がくわえている紙きれを、ツと毟《むし》り取って、造酒の足もとへポイと抛《ほう》った。
「ソレ! 十番首じゃよ」
 ニコニコ笑っている。

      三

 それより先、この源助町の道場、無形一刀流の看板を上げた玄関口は、大変な騒ぎだ。何しろ、深夜に客が来て、その客の背中に貼紙がしてある……「亡者」と大書して。
 それさえ事穏やかでない上に、しきりに案内を乞うていたその客が、取次ぎに出てみると、何時の間にか首のない屍体になって、いともおとなしく寝ころんでいるのだから、これは胆《きも》をつぶすほうが当りまえで。
 発見者の大声に夢を破られて立ち出でた一同、三羽烏の大矢内修理、比企一隆斎、天童利根太郎をはじめ春藤幾久馬、遊佐剛七郎、鏡丹波ら、ワイワイ騒いでいる。
「おいおい、他人《ひと》の家へ首を忘れて来やアがった。テッ! そそっかしいやつもあるもんだ。誰だこりゃア?」
「馬鹿ッ! 首を忘れて来るてエやつがあるか。第一、首が無くて歩けるか。方向がわかるまい。眼は、御同様首についているからナ」
「なるほど、それは理窟だ。が、その首がなくて、どうしてここまでやって来たろう?」
「今の今まで、頼もう、頼もうといいおったが、あの声は口から出おったに相違ない。口は首についておるはず。その首が無くして声を発したとは、イヤ、貴殿の前だが、不可思議千万……」
 ナニ、不可思議千万なことがあるものか。
「一体何者だ」
「何者だと言って、それは無理じゃよ。見らるる通り首がないのじゃから、どこの何ものともわからぬ」
「あッそうか。首は、どこかそこらに転がっておらぬか」
 安人形と思っている。一人が屍体に手をかけて見て、
「おやア! 背中に紙が貼《は》ってあるぞ! 何だと……亡、者? ワッ! 亡者とある。ウム、確かにまた、喬之助の悪戯《いたずら》――」
「すると、御書院番士の一人にきまった。これはこうしてはおられぬ」
 こうしてはおられぬと言ってさし当りどうしようもない。剣士一統、矢鱈《やたら》に柄を叩いて敷台《しきだい》から前庭《まえ》の植込み、各室へ通ずる板廊《いたろう》のあたりをガヤガヤ押し廻っていると、
「さあ大変! この間に早く」
 頭のてっぺんから声を出して、風が吹くように奥からスッ飛んで来た二人の人影がある。ソラ出た! と言うんで、気の早い鏡の丹ちゃんなんかがおっ取り刀、グルリ取り巻いてみると、長庵先生と市松お六だ。長庵はとにかく、お六はこれでも師匠造酒の本妻とも妾ともつかない、謂わばこの下町の道場の大姐御だから、門弟一同、奥様扱いして一|目《もく》も二|目《もく》も置いているのだ。
「どうなさいました」比企一隆斎が口をきって、「この坊主は何ものです! こいつを成敗《せいばい》なさいますか」
 気がつくと、お六は、長庵と手を握《にぎ》り合っているから、あわてて離して、
「イイエ、そうじゃないんですよ。この方は大事なお客様、わたしがお送りして、今お帰し申すところ――それより、奥に、釣竿を担《かつ》いだ変な入道《にゅうどう》が飛び出して、先生と斬り合いになろうとしています。皆さん、早く行ってみて下さい。その入道がこの妙見様を首にしたんですよ」
「エッ! こ、これは妙見……妙見勝
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