城守の許から約束の品を届けて来たと言ってこの円頂《えんちょう》の男が園絵――造酒はお妙を喬之助妻園絵と感違いしている――をともなって居間へ通って来たのである。そこへ、お六が酒を持って帰って来て、村井長庵と名乗るこの男と顔を見合って双方驚いた。お六は、銚子を取り落した。同時に、さっきの弟子がまた飛んで来て、玄関に首のない屍体《したい》が転がっていると言う。
 何を馬鹿なことを!……と起ち上った拍子に、隣室からにおって来た線香の香《かおり》。開けてみたら、こうして首が安置《あんち》してあったのだ。
 妙見勝三郎――そう言えば、生き残りの番士を代表して、今夜一人で喬之助の件につき相談に来ると言って寄《よ》こした妙見勝三郎……。
 いつの間に首になったか? 誰が首にして此室《ここ》へ持ち込んだか――?
 玄関のほうからは、首のない妙見の屍体《したい》を取りかこんで立ち騒ぐ門弟どもの声が手に取るように聞えて来る。障子を掴んでいる造酒の手が怒りと驚きにふるえて、カタカタと障子が音を立てた。
「無形一刀の道場と知っての、その仕業《しわざ》に相違ないッ!――小癪《こしゃく》ナ!」
 急《せ》き込んで来る憤激に、ガッ! 咽喉を鳴らして振り向くと造酒の肩越しに、お六、門弟、長庵、お妙と、八つの眼が首に据って、無言、不動、呆然《ぼうぜん》……恐ろしい沈黙だ。
 一瞬、二瞬、三瞬。部屋の中には、首に纏《まつ》わって線香のけむりが立ちこめ、室外《そと》の廊下には、造酒をはじめ五人が眼を見張り、呼吸を呑んで釘づけになっている――。
 突如、恐怖のあまり、お妙がヒステリカルに泣き叫んだ。
「長庵さま! 帰して下さい。こんな恐ろしいお邸へ、何しにあたしをつれこんだのでございます! 早く出ましょう! 早く、下谷の自宅《うち》へ送って下さいまし……」
 造酒が聞き咎《とが》めて、長庵へ眼をやった。
「長庵!……と申したナ」
「へっ。村井長庵と申しまする麹町は平河町……」
「黙れッ! 人別《にんべつ》を訊きおるのではない!」
 お手のものの幇間式《たいこもちしき》に、おひゃらかしてこの場を濁《にご》そうとした長庵だが、咬みつくように呶鳴《どな》りつけられて眼をパチクリ、黙りこんだ。形勢不穏である。首の問題は第二、神保造酒はくるりと長庵に向き直っている。
「コレ坊主め! この女子《おなご》はどこの馬の骨だ?」
 言うことが荒《あら》っぽい。

      二

「ウヘッ! 馬の骨? 先生、情ない。ナ、何ぼ何でも、馬の骨とは情ない……」長庵は、誤魔化してしまおうというので一生懸命だ。「御自身|御執心《ごしゅうしん》の園絵さまをさして馬の骨とは、そりゃ先生、聞えません。へい、第一、園絵さまをおつれするようにと、先生から脇坂様へお話がありましたればこそ、こうして手前が――」
「長庵さま! 何をおっしゃるのです。わたしは……」
 必死に言い立てようとするお妙を、長庵は、手を出して口を塞《ふさ》がんばかりに、
「何を言わっしゃる。お妙どの……」
 うっかりお妙どのと言ってしまったから、造酒は耳ざとく聞き咎《とが》めて、
「フム、お妙と申すのか。いずれさようなところであろうと思っておった。これよ、坊主、貴様は黙っておれ!」と長庵を極《き》めつけて、ジロリとお妙を見た。「妙! 貴様はどこの娘だ。下谷と申したナ」
「はい。下谷黒門町の……」
 言いかけると、それを言われてはたまらない。長庵は泡《あわ》をくらって、
「殿様! ク、首が動《うご》きました。あれ! 首が動きました」
 死にもの狂いで室内《へや》の机の上の首を指さした。が、
「黙《だま》っておれ! 首が独りでに動くか」
 極《き》めつけられて、長庵今度は造酒の袖を引っ張った。
「イエ、冗談ではございません。あの通り、首が笑っております」
「五月蠅《うるさ》いッ!」振り払った造酒が、お妙に、「ウム、下谷黒門町の何の何屋の娘だ?」
「父は壁辰と申す左官でございます」
「ア、言っちゃった――」
 長庵はガックリすると同時に、逃げ腰である。そこをグッと押えた造酒、なおもお妙へ、
「左官の娘か。神尾喬之助の妻園絵ではないな」
 恋する喬之助の妻ではないかと問われて、普段ならお妙、真ッ赤になるところだが、今は色の恋のとそんな場合ではないから、
「いいえ、喬之助様の奥様などと、飛んでもない……」
「坊主ッ!」
 怒気《どき》を破裂させた造酒が、グッ! 手をのばして長庵の襟髪《えりがみ》を掴んだ。お六が割り込んで来た。
「何ですねえ、首を前にして長詮議《ながせんぎ》――面白くもありませんよ。それより、下手人はまだこの屋敷内に潜《ひそ》んでいるにきまっています。そっちのほうへ掛らなくては――」
「貴様はスッ込んでいろ!」大喝した造酒、「こら
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