ないというので一|同《どう》素面《すめん》である。ズラリと大広間に居流れて評定《ひょうじょう》の最中だ。
「もうこれで四|人《にん》殺《や》られている。諸君はどう思われるかしらんが、これだけ屈強の士、しかも、多くは将軍家|御警衛《ごけいえい》の任に当る天下の旗本である。のみならず、召し出されてお城の要役《ようえき》にある者が、斯く一致団結して当りながら、元同僚とは申せ、今は痩浪人《やせろうにん》である。その痩浪人一匹持てあまして……実に何たる――! イヤ、考えてもムシャクシャ致すワ」
「何の。その悲憤は貴殿のみではない。御用の者に駆り立てられておる野犬を、思うさま咬《か》み廻るに任せて、今日まで指一本触れることが出来ぬとは、イヤハヤ、心外のいたりでござる」
「上に聞えて面白くないばかりか、庶民に対しても御番部屋の名折れ、延いては千代田のお城の威信《いしん》にも関することだ」
「そうだ。だが、上司へはもう聞えておる。老中、若年寄、大目附など、寄りより鳩首凝議《きゅうしゅぎょうぎ》しておるとのことじゃ」
「ふふむ。何を協議しておるのかな」
「それはわからぬ。天機《てんき》洩《も》らすべからずだそうだ」
「ふふう、あの老人連中と来た日には、何と言えば集まって愚図愚図《ぐずぐず》いうのが好きなのじゃ。それだけのことじゃ」
「そうとも、第一、何も相談などすることはないではないか。一日も早く喬之助めに繩打つように、八丁堀はじめ町方一統を激励鞭撻《げきれいべんたつ》すればよいだけじゃ」
「何でも、ひょっとこんな事を聞きこんだが……この事件に関して、例の大岡殿も動きかけておるとか――」
「大岡と申すと、あの、南の大岡か。きゃつがまた、何しに出しゃ張って来るのだ?」
「わッハッハ! 自分さえ出れば、万事解決すると思っておるのが、あの人の病なのじゃ。己惚病《うぬぼれびょう》というやつである」
「全くもって笑止千万、大岡様などは狐鼠泥《こそどろ》相手に威張っておればよいのだ。喬之助は、飽くまでもこっちの手で片づける! なあ、各々方《おのおのがた》」
「言うにや及ぶ、大岡は大岡、吾《わ》れわれは吾《わ》れわれ、ま、ここだけの話じゃが、拙者は、あの大岡殿の利才《りさい》ぶった様子が、日頃から気に食わぬのじゃ。何かというと王道の政《せい》、大義名文《たいぎめいぶん》、ウフ、アハハハハ、脇坂様なぞ、大岡殿を毛虫の如く厭《いや》がっておらるる」
「ところで、それはそうとして、今日お集り願った目的であるところの喬之助討ち取りの方策じゃが――」
「ナニ、面倒なことはない。おれの前へ引っ張って来い!」
「黙られい! 徒《いたず》らに大言壮語――オッ、そういうお手前は、笠間氏じゃな、うわさによると、お手前は鎧兜《よろいかぶと》を着して寝《しん》に就《つ》かれるということじゃが」
 わいわい、がやがや、大変な騒ぎのところへ、真《ま》ッ蒼《さお》な顔をした長岡頼母が、ヒョロヒョロしてはいって来たから、一同はそっちを見て、合唱のように、「おい、長岡、どうした?」
「長岡うじ、いかが召された?」
 頼母は、黙って、手にした忌中札を突き出しながら、
「これが貼ってあった――居間の障子に。開けてみたが、誰もおらぬのじゃ。コレ、この通り、まだ濡れておる」
 ドレドレ、見せろ――と、一同がザワザワと起ち上って頼母の周囲《まわり》に集ろうとして! フと気がついた。末席である。
 何時の間に来たのか、それとも、初めから評議に加わっていたのか、その末席《まっせき》に、両手をついて、ジッと平伏したきりの一人の人物がある。どうして今まで、誰も気がつかなかったろう? 畳に手を突いて動かない姿……裃《かみしも》こそ着ていないが、あの元日、番部屋《ばんべや》でそうして嘲弄《ちょうろう》を受けていた神尾喬之助の態度と、寸分違わないではないか。その微動《びどう》だもしない伏像《ふくぞう》に対して、一同は、声もなく眼を見張った。

   影《かげ》と影《かげ》二|人法師《にんほうし》

      一

「ややッ! ここにおる! ほら! ここに居るぞ何者か……」
 叫び揚げたのは、博多弓之丞だ。背後《うしろ》へ拡げた両手は、空気を押えるような手つきだ。そのまま、ザザザッ! 畳をならして蹣跚《よろめ》き退《さが》った。
 池上新六郎、山路重之進、飯能主馬、横地半九郎、妙見勝三郎……等、合計十三名の御書院番士と、源助町の助軍一統、思わず、ぱッ! 潮の引くよう、起ち上っていた。
 本郷、うなぎ畷《なわて》――長岡頼母の屋敷である。喬之助討取り方|評定《ひょうじょう》の最中に。
 あるじ頼母の発見した忌中札、その字がまだ濡れているというので、一同が頼母を取り囲んでわいわい言っている時、誰ともなく、つと末席に眼が
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