、遊佐剛七郎、鏡丹波の三剣士が夜番に頼まれて来ていたのだが、そのうち、三人では扱い切れぬと見た鏡丹波が飛び出して、芝の道場へ三羽烏の一人を迎いに走るのを認めたのが、右近の影のようにかれについて瘤寺裏へ行っていて、庭木の間に潜《ひそ》んで様子を見ていた知らずのお絃である。後をそのままに、丹波を追って急いだのだったが、中途から闇路を転じて、神田の自宅へ立ち帰り右近とお絃はどこへ行ったのだろうと考えながら独りつくねんとしていた神尾喬之助にその旨を語る。そして、喬之助が四谷をさして宙を飛ぶと同時に、お絃は、かねて右近と盟約《めいやく》を結んだ釣魚狂いの魚心堂先生をも頼《たの》み込み、二人その足で喬之助の後を追って四谷へ……。
ちょうどこの頃、万策尽きた西丸御書院番頭脇坂山城守が、源助町に神保造酒を訪ねて、喬之助事件に関し助力を乞い、神保先生はまた、喬之助妻園絵と交換にそれを承諾《しょうだく》していたが、これを立ち聞きしたのが、造酒の妻とも妾ともつかない芸妓上《げいしゃあが》りの市松お六で、思わず柳眉《りゅうび》を逆立《さかだ》てているところへ、鏡丹波が三羽烏の助剣を求めて帰って来たので、その場はそれなりに、天童利根太郎が五十七名の剣士をつれて四谷へ押し出す。横地半九郎方を襲っているのが喬之助ではなくて茨右近であろう等《など》とは脇坂山城守ゆめにも知らないから、今夜こそは間違いなく神尾喬之助を討ち取ることが出来るであろうと、大層な御機嫌でなおも造酒に今後の事を頼み込み、その忍びの訪問から帰って行く。造酒が交換に園絵のほうの事を念を押すと、村井長庵を使えば巧く遣れるだろうと思っている山城守は、大きく合点《うなず》いて胸を叩きながら、待たせてあった駕籠に乗った。
この喬之助、魚心堂、お絃の三人組と、天童利根太郎、鏡丹波を頭に源助町から押して来た五十七名とが出会ったのが、瘤寺に近い富士見の馬場、ソロソロ東が白もうという頃で、夜露の野を蹴って乱戦は朝に及んだが、源助町の勢は驚いたろう。何しろ半九郎方で暴れてるはずの神尾喬之助が、いきなり此処へ飛び出したのだから――もっとも、こっちがほんとの神尾喬之助なんだから、知っていれば別に不思議はないけれど、それに、つんつるてんの飛白《かすり》の筒《つつ》っぽに、白木綿の兵古《へこ》帯を太く巻いた大男が、茶筌《ちゃせん》あたまを振り立てて、そこらで根から抜いて土のついてる六尺ほどの若木を獲物《えもの》に渡り合うのにも、その疾風迅雷的《しっぷうじんらいてき》なのにかなり悩まされたのみか、そればかりではなく、女遊人《おんなあそびにん》みたいなのが一枚加わっていて、こいつがまた剣輪に包囲されながら、石を投げる、土をぶつける、恐ろしく邪魔になって犇《ひし》めくばかりでそのうちに一人ふたり、味方の中から喬之助の手に掛る者が出て来る。夜が明ければ五月蠅《うるさ》いと焦立《いらだ》っているところへ、騒ぎを聞いて駈けつけて来た御用提灯の灯が点々と――これは、それとなく喧嘩を割って、喬之助を救おうという、金山寺屋音松の率《ひき》いる手勢《てぜい》であった。
金山寺屋音松、何が故に外ながら喬之助を援助するがごとき態度に出るのか、あの壁辰の家で、与力満谷剣之助の前でわざと喬之助を喧嘩渡世の茨右近と見誤《みあやま》り、そこへ匿《かくま》えと言わんばかりに教えたのも、この日本橋長谷川町の岡っ引き金山寺屋の音松ではなかったか。
その朝の富士見の馬場でも。
五十七人で三人を持て余しているところへ捕吏《とりて》の一隊が現れたので、これ幸いと、鏡丹波などが駈け寄って、
「おう、よい所へ来た、吾《わ》れわれは、芝の道場の者だが、あそこに喬之助がおる。元番士の神尾喬之助――いま発見《みつ》けてそのほうらのため召し捕ってやろうとしておったところだが、ちょうど、われわれも手を貸すから早く掛るがよい」
早速|訴人《そにん》と出掛けると、聞えない振りをした金山寺屋、大声に喚《わめ》いたのだった。
「ただ今、南町奉行大岡越前守様が、朝のお馬馴《うまな》らしに、当馬場へ御試乗《ごしじょう》にならせられます。さあ、引いたり引いたり! 喧嘩は両成敗《りょうせいばい》! お奉行様のお眼にとまらぬうちに、どっちも引き上げ! 引き上げ! わっし共は、そのお固めに参ったものでごぜえます」
機転だ。出たらめだ。肝腎《かんじん》の大岡様は、朝がお早い。この時はもうとっくに床を離れて、外桜田のお屋敷で、こんな騒ぎは少しも御存じなく、きちんと坐られて余念なく朝の御書見をしていたが、大岡様! という名を聞いては、天童利根太郎も鏡丹波も、どっちかというと煙たいほうだ。サッと潮が退くように引き上げたので、喬之助の三人組も、急いでその場を立ち去る。帰りがけに、遠くで、喬
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