計《はか》らいで、お城の油御用を一手に引き請《う》けたいという念願。例の村井長庵をも頼み、せっせと脇坂様へ敬意を表して来たのだが、それが、このところ、あの幸吉の訴人沙汰で、ちょっと不首尾《ふしゅび》になっているので、きょうの贈り物で一気に回復しようという寸法だ。箱がだいぶ重そうなのは、筆幸、よほど張りこんで、ぎっしり山吹色が詰まっているとみえる。
 お茶をもう一ぱい、金鍔《きんつば》をもう一つというので、定公め、なかなか腰を上げないのだが、べつに急ぐこともないので、幸吉もついそのまま、のんべんだらりと茶店に根を生やしていると……めずらしい晴天だから、人出が多く、茶店はかなり混《こ》んでいる。
 女がはいって来た。
 若い綺麗な女だ。商家のお内儀《かみ》といった態《てい》で、供をつれている。
「さあさ、ちょっと休んで行きましょうね。歩くのはこれで、何でもないようで草臥《くたび》れるからねえ。お前も大変だったろう? 御苦労だったねえ」
「へい、ドドドどうも、ア、相済みません」
 喧嘩屋の身内《みうち》、どもりの勘太こと吃勘《どもかん》と来たら、名前の示すごとく猛烈な吃《ども》りなのだ。
 内儀ふうに装《つく》った知らずの姐御にくっついて、勘太も茶店へはいって来る。手に何か持っている。萠黄のふろしきに包んだ、箱のようなものである。
 何か思わくでもあるのか、スッカリ化《ば》け切《き》った知らずのお絃だ。腰掛けの間を通って、幸吉のそばへ行って腰を下ろす。勘太も続いて、となりに掛けた。同じようなふろ敷包の箱が、二つ並ぶ。
 思いがけなく、美《い》い女《おんな》が傍へ来たので、筆屋の若旦那は、もうゾクゾク心臓の高鳴《たかな》りを感じて、何とかうまくモーションをかけよう……機会を狙《ねら》っているうちに、お絃と吃勘《どもかん》はアッサリお茶を飲んで、
「お婆さん、御馳走さま。お茶代はここへ置きますよ」
 チャリンと盆へ文銭を投げて、お絃は立つ。勘太も、箱包をかかえてあとを追う。二人、いそぎ足に出て行った。
 それで気がついた幸吉、
「おい、定公、そろそろ出かけようじゃないか」
「そうですね。では、参《まい》りましょうか」
「荷物を忘れちゃいけないよ」
「この通り、シッカリ抱いていまさァ」
 毎度ありがとう。どうぞおしずかに……茶汲み婆さんの声に送られて、ふたりも、腰かけを離《はな》れた。
 やきもち坂を登る。脇坂様のお屋敷へ。

      七

「ほホゥ、筆幸から献上物《けんじょうもの》とナ」
 登城をしない日は、退屈《たいくつ》な一日だ。
 市ヶ谷やきもち坂の甲良屋敷である。
 西丸御書院番頭脇坂山城守は、ここお上《かみ》やしきの奥まった庭を、ブラブラ散歩していた。
 お力士さんのように肥ったからだに、紋服の突《つ》き袖《そで》が似合った。泉水《せんすい》のまわりを歩いているのだ。いい天気だ。金いろの水のような日光が空間《くうかん》を占めて、空は、高く蒼い。草は、みどりの色を増して来ているのだ。山城守は、それが特徴の、面のように無表情な顔を据《す》えて、さっきから、築山の横の同じところをいったり来たりしていた。
 空は晴れても、山城守は、気が重いのだった。
 気が重い――無理もない。
 ところは柳営《りゅうえい》だ。時は元旦だ。あんな事件のあったのは、山城守の責任なのだ。監督不行届《かんとくふゆきとど》きなのだ。よく切腹を仰せ付けられなかった。よく閉門謹慎《へいもんきんしん》で済んだ。が、表面はそれで済んでいるが、内実、山城守のいのちは、兇刃神尾喬之助の逮捕《たいほ》一つにかかっているのだ。つまり、早晩必ず喬之助を捕まえるからというので、切腹を延ばされているのだ。交換条件で命をつないでいるのだ。
 喬之助に繩打って、引き据えるか。それとも、自分が腹を切るか……二つに一つだ。山城守は、いても起《た》ってもいられなかった。躍起《やっき》になっていた。
 園絵と喬之助の結婚には、じぶんも口をきいた。その園絵のことで、こんな騒動になったのだ。今となって、善悪正邪《ぜんあくせいじゃ》は問題でない。自分としては、組与頭の戸部近江を首にした喬之助の首を、一刻も早く手にしさえすればいいのだ。が、その喬之助の行方《ゆくえ》である。家中の者はもとより、町方にも手を廻《まわ》して、いま、喬之助を狙《ねら》う御用の者は、江戸全市を櫛《くし》の歯のように梳《す》いているはずだ。それでも発見されない。発見されないだけならまだしも、先日はどうだ。この大警戒の真ッ直中で、大迫玄蕃と浅香慶之助と、同番の士が一夜にふたり、喬之助のために首を掻《か》かれている。何だか、他の者も順次に首級を挙げられてついには自分にまで及んで来そうに思われるのだ。
 山城守は、じぶんの生首《な
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