お粗末なのが通り相場になっていると聞くが、その園絵、花も果《み》もあるほんとうの美人で、美人とは美しい人と書く。人は、形の美よりも心の美である。形の美は皮一枚、心の美は千|載《ざい》を貫《つらぬ》く。女権拡張《じょけんかくちょう》も友愛結婚も時世とやらの産物で大いに結構だが、園絵は、眉を描いたり頬を彩色《さいしき》したり、ビックリ箱から今飛び出たような面をして、チャールストンとか何とか称し、大根脚で床を蹴ったりなんか妙竹林《みょうちくりん》な芸当は知らなかっただけに古くさいかも知らないけれど、考えることがシッカリしている。
夫婦の情愛に新古《しんこ》はないはず。
短くして破られた二ツ枕の夢――夫恋《つまこ》う鹿の細ぼそと鳴くにも似て、園絵が、こう毎日くり返す想いを、また、胸のうちに燃やしながら、
「もう上りましょう」
交《かわ》る代《がわ》る足を上げて、鷺《さぎ》のような恰好、紅珊瑚《べにさんご》の爪さきを無心に拭いていると、
「オャ……!」
つ[#「つ」に傍点]と窓へ眼の行ったかの女の口から、絞るような、驚愕《おどろき》の声が……。
二
無理もない。
高い櫺子窓《れんじまど》である。そこへ人の顔が現われたのだ。イヤ、正確には、現れたような気がしたのだ。それはまことに、穏《おだや》かでない。人の細君が入浴しているところを覗くんだから、まさに池田亀太郎氏の先祖で亀右衛門。気丈な園絵である。いそぎ腰へ手拭を廻し、両手で乳房をかくして蹲踞《しゃが》みながら、キッ! となって窓を振りあおいだのだが、心の迷いであったか、窓を通して夕陽《ゆうひ》の色が沈みつつあるばかり――人の顔なんか、ありはしない。
アアよかった。早く出ましょう……起ち上った園絵だ。今度はハッキリ見たのだ。見るも見ないもない。そこの窓から、良人喬之助がじぶんを見下ろしているではないか!
「あッ! あなたッ!」叫《さけ》んだ園絵だ。「何でそんなところから――ただいま参りますッ!」
瞬間である。ほんの一|刹那《せつな》、湯殿を跳び出しながらチラと見返ると、そこにはすでに喬之助の顔も誰の顔もなかったが、確かにこの双《そう》の眼《め》で見たのだから、園絵は、気も顛倒《てんとう》している。濡れたからだを碌々《ろくろく》拭きもせず、そのまま着物を引っかけて帯を廻し、近くの縁から庭下駄を突っかけて転《まろ》ぶがごとく、その、たったいま喬さまのお顔の見えた窓の下へ来てみる――と、人影もない。
おや!……と、見廻した。ここに立って覗《のぞ》いていなすったのだが、どこへいらしったのだろう? ハテ、無いものをあると見たのかしら? 兇変《きょうへん》があると、心が飛んで来て姿にあらわれるという。もしや……エエ縁起でもない! 自ら問いみずから打ち消して、園絵は呆然と立ちつくしている。裏木戸近くの風呂場の外だ。生《お》いしげる笹の葉から宵《よい》やみが立ち昇って、山の手の逢魔《おうま》ヶ|刻《どき》、森閑としている中に、夕餉《ゆうげ》の支度に忠助が台所で皿小鉢をうごかす音――いつまで立っていても、いない喬さまが出てくるわけはない。
帰りましょう帰りましょう……引っ返そうとした。と、声がした。
「アノ、ちょっと御新《ごしん》さん――」
女の声だ。ふり向く。裏木戸《うらきど》のそとに女のすがたがある。しきりに手招きしているのだ。その手招きに吸《す》い寄せられるように、園絵は二、三歩、そっちへよろめいた。
「どなた――どなたでございます。何ぞ御用でございますか」
「ホホホホ厭だよこの女《ひと》は、用がなくて神田くんだりから出てくるもんですかね」
これが初対面の挨拶だ。見ると、黒襟の半纏をズッこけそうに引ッかけて、やけの洗《あら》い髪《がみ》、足の指にはチョッピリ鳳仙花《ほうせんか》の紅《べに》をさしていようという、チャキチャキの下町ッ児、大変者《たいへんもの》の風格だから、園絵は思わず用心をして、
「御用がおありでしたらおはいりなすって下さいまし」
「焦《じ》れッたいねえ。お前さんに出て来て貰いたい用なんでございます」知らずのお絃は、どこへ出てもこの調子だ。せっかく喬之助に会わしてやろうと、茨右近と一緒に駕籠まではずんで迎いに来た。その当の相手が、何だかじぶんを疑って二の足を踏んでるようすだから癪《しゃく》にさわってたまらない。持前の気性でポンポンやり出す。「あたしゃ知らずのお絃というやくざ[#「やくざ」に傍点]女《もの》で、まともの口をきくことなんか、名前のとおりにまったく知らずでございますのさ。オヤ、はばかりさま」
それじゃア何のことはない。まるで喧嘩を売りに来たようなものだから、いまチョイと湯殿を覗いて来て、もう、そこの横町に待たしてある駕籠の中に帰ってい
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