んかを切ろうという物凄《ものすご》い姐御《あねご》。
こう三|拍子《びょうし》揃ったうえに、喬之助と右近、てんで見分けがつかないというのだから、まことに紛《まぎ》らわしい話で、いのちを狙われる十七人の身になってみると、それは、あんまりありがたい同盟ではなかったろう。
さて、喬之助の口から、妻の園絵への思いを聞かされた、茨右近と知らずのお絃は、粋《いき》な人間だけに、察しがいい。喬之助が、いま自分の家にいることを知らせて安心もさせ、また、次第によっては、園絵をこっそり帯屋小路の家へつれて来て、久しぶりに喬之助に会わせてやろうと、思い立つと、即座《そくざ》に何でも実行しないと気の済まない喧嘩屋夫婦である。
出しぬけに園絵をつれて来て、驚かしてやろうという肚《はら》だから、喬之助には黙って、ふたりで出かけた。
駕籠《かご》で出かける。
二梃の駕籠をつらねて、帯屋小路の家を出たのが、ちょうど夕方だ。江戸の入陽《いりひ》は、大都会の塵埃《じんあい》に照り映えて、茜《あかね》いろがむらさきに見える。鳶《とび》にでも追われているのであろう、空一めんに烏のむれが、高く低く群れ飛んでいた。
九段下へ出ようとして、俎《まないた》橋へさしかかる。あの辺は、中どころの武家やしきが並んでいて、塀《へい》うちから往来へ突き出ている枝のために、昼でも暗いのである。ましてやたそがれ刻《どき》、早や、清水のような闇黒《やみ》があたりを罩《こ》めはじめて、人通りはない。
先をいくお絃の駕籠《かご》が、つと路傍《みちばた》に下ろされた。前棒《さきぼう》の駕籠屋の草鞋《わらじ》がゆるんだから、ちょっとここで締め直して行きたいというのである。棒鼻《ぼうはな》が支えて、右近の駕籠もつづいて停《と》まったから、垂《た》れをはぐって顔を出した右近が、
「何だ、何だ、どうしたんだ」
「はい。ちょっくら草鞋《わらじ》を締め直させていただきやす」
「チェッ、だらしのねえ野郎《やろう》じゃアねえか」
「恐れ入りやす」
六
「なア幸吉さん、お前さんがあんなこと言って、脇坂様のお屋敷へ駈《か》け込んだりするものだから、殿様もすっかり真《ま》に受けて、さっそく八丁堀へお手配《てはい》なすって、多分の御人数を繰り出してみると、あれアお前さん、他人の空似《そらに》で、神田帯屋小路の喧嘩渡世、茨右近てえ浪人だったてえじゃアないか。だから、滅多なことを言ってくるもんじゃアないよ。かかりあいで仲に立った私も、こんなに困ったことはありアしない。おかげで当分、何か埋合《うめあ》わせの功名をするまでは、この長庵まで、お屋敷へ顔出しが出来なくなってしまったじゃアないか。これからあんな出鱈目《でたらめ》な口をきくのは止して貰おう」
今日は下谷長者町の筆幸《ふでこう》へ出かけて行って、そっと息子の幸吉にだけ会い、こういって散々《さんざん》怒《おこ》り散らした村井長庵だ。そんな筈はないがなア。たしかにあれは神尾喬之助で、壁辰の父娘《おやこ》のあいだに、こんな話もあったのを聞いたのだ、という幸吉の陳辯《ちんべん》には耳をも籍《か》さず、
「とにかく、今後は気をつけて貰いましょう」
と、プリプリして筆幸の店を立ち出でた村井長庵は、ちょうどその時、お絃、右近の喧嘩屋一行の駕籠と同じ途を、麹《こうじ》町平河町の自宅へ帰路《きろ》についていた。
この村井長庵。
今度筆屋が、筆紙類のみならず、ひろく油渡世《あぶらとせい》のほうにまで商売の手を伸ばすにつけては、いま、お城のそのほうの御用を一手に引き受けて来た神田三河町の伊豆屋伍兵衛が、婿の神尾喬之助の一件で失敗《しくじ》っている時だから、この機を利用し、御書院番頭の脇坂山城守を通して頼みこめば、必ず伊豆伍を蹴《け》落し、伊豆伍に代ってお城の油御用を仰せつかることが出来るというので、長庵は、筆屋幸兵衛に頼まれて、脇坂山城守へ、言わば賄賂《わいろ》の橋わたしをしているのである。
筆幸は、千代田の御書院番へ筆紙墨の類を入れて来て、山城守とはお近づきに願っている。かれは、伊豆伍と同じ、越後《えちご》の柏崎《かしわざき》出の商人で、同郷なればこそ一層、昔から伊豆伍と筆幸は、激しい出世競争の相手だったのだ。その伊豆伍を倒す絶好の機会である。ことに、山城守は、おのが部下の随《ずい》一を斬って逃げて、その後も、自分を愚弄《ぐろう》するがごとき神尾喬之助の態度に、躍起《やっき》となっている。この騒動《そうどう》の原因は、すべて喬之助妻園絵こと伊豆屋のお園から出ているのだから、伊豆屋をも快《こころよ》く思っていないことは勿論である。そこへ、山城守には覚えめでたい長庵が間に立っていてくれるのだから、この話はもう成り立ったも同然だと、筆屋幸兵衛は、明日にもお
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