」
「何を二人で感心しておるのだ。口の利きようでみると、その半纏着《はんてんぎ》のやつは、武士のようだが――」
「いかにも、拙者は武士でござる。神尾喬之助と申す」
「ナ、何イ! カ、神尾喬之助? あの、あの、元日に首を斬《き》って逃げてる――御書院番の、神尾喬之助かッ!」
「如何《いか》にも左様。その神尾喬之助なら、何《なん》としたッ」
「うウム! よく来た。よく来た。よく、訪ねて下すった。そうか。貴殿が神尾喬之助殿か。いや、よくやりなすった。よく思い切りなすった。愉快《ゆかい》じゃ。いつもナ、このお絃とお噂申し上げておりました。何とか、あの神尾氏にお腕貸《てか》し申して――ははア、読《よ》めた! これから転《ころ》がることになっておる十七の首というのは、そりゃア何だナ、残りの番士十七名のことだナ。よし! やろう! 拙者もこれで、一生の喧嘩が決まって、こんなに安心いたしたことはない。お絃、喜べ。もう喧嘩の食いはずれはねえぞ」
「しッ! 何だい。野中《のなか》の一|軒家《けんや》じゃあるまいし、神尾神尾って大きな声で、黒門町さんなんか、はらはらしてるじゃないか」
「お侍さん同士は、解りが早えや。先生、喧嘩の先生、黒門町は、この通りお礼を申しやす」
「いや、その黒門町よりも、かく申す神尾喬之助、あらためて御助力をお願い申す」
「まママ、お手を、お手をお上げなすって――やい、お絃。酒買って来い!」
「あい来た。いま駈け出すところだよ」
五
こうして、黒門町があいだに立って、喧嘩渡世の茨右近方へ、食客《しょっかく》としてころがり込んだ神尾喬之助であった。
同じ家に、同じ男がふたり居るようなもので、ことに、世間《せけん》の眼をくらますために、神尾喬之助は、髪《かみ》から服装の細部まで、右近と全く同じに拵《つく》っているのだから、二人いっしょにいるところを見られない限り、近所の人も怪《あや》しまずにいるのだ。茨右近が出て行ったかと思うと、その茨右近が家の中にいる。おや、何時の間に帰ったのだろう――と思うくらいのところで、根が変り者の変った世帯だから、誰も気にとめない。みな、茨右近の神出鬼没《しんしゅつきぼつ》ぶりに感心するだけで、喬之助という影武者《かげむしゃ》のいることには気が付かずに過ぎたのだった。
が、そんなふうに、どこからでも見分けのつかないほどそっくり[#「そっくり」に傍点]な男が一つ家に住んでいるんでは、まるで良人《おっと》が二人いるようなもので、知らずのお絃が困りはしないかということになるんだが、そこはよくしたもので、幾ら似ているといったところで、べつの人間には相違ないのだから、ちょっとした顔つき、身体の態度《こなし》で、お絃には容易に区別がついて、良人と間違えるなどという、そんなような心配は、まずないのである。
喬之助は、右近とお絃のまえに、ああして戸部近江之介を斬《き》らなければならないことに立ち到った経過、いま全心身を挙げて一|復讐魔《ふくしゅうま》と化し、残余《ざんよ》の十七の生首《なまくび》を狙《ねら》っている自分の決心――それらを、細大《さいだい》洩《も》らさず物語って、
「唯《ただ》一つ気になりますことは、潜行以来《せんこういらい》、築土《つくど》八幡の拙宅へ立ち寄ることもならず――妻の園絵と弟琴二郎まで召し捕られ、拙者の居どころを吐《は》かせようと、きつい詮議を蒙《こうむ》っておるとのこと。もはや赦《ゆる》されて家へ戻ったことでござろうが、それを思えば、お察《さっ》し下され、右近殿。喬之助、断腸《だんちょう》の思いでござる。妻にも会えば色いろと話もあるものをと、ま、これは愚痴じゃ。つい愚痴《ぐち》が出ました。いや、お笑い下さい」
と聞いた、右近とお絃である。
茨右近と知らずのお絃――喧嘩は元より、三度の飯より好きなのだ。ことに多勢に無勢、公儀を向うに廻して逃げまわっている喬之助だ。しかも、これから十七の首を順々に落して廻るのだという。そう聞いただけで、持前の侠気《おとこぎ》と喧嘩好きから、この喧嘩屋の夫婦、一生涯の協力を約するのは当然で、ここに、顔形から剣を取っての腕まえまで、いずれも兄《けい》たりがたく弟《てい》たりがたい神尾喬之助がふたり、喧嘩渡世の看板に隠れ、知らずのお絃の嬌笑《きょうしょう》と胆《きも》ッ玉《たま》を仲に、巷《ちまた》の雑踏《ざっとう》から剣眼《けんがん》を光らせて、随時随所に十七人の生命を狙《ねら》うことになった。
神尾喬之助は、虚心流のつかい手。
茨右近は、観化流の海内無《かいだいむ》二|剣《けん》。
知らずのお絃は――お絃流の、なに、そんなものはないが、とにかく、喧嘩の真中《まんなか》へ割り込んで、婉《えん》然にっこり[#「にっこり」に傍点]名た
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