がせを致したな。まま許せ、許せ」と笑って、それから満谷剣之助へ向い、「これはお役人、ただいまこの者が申すとおり、手前《てまえ》はその、茨右近でござる」
立派に言い切ったから、金山寺屋が保証《ほしょう》することではあり、もうそれ以上|詮議《せんぎ》の要もあるまいと、かえって役人のほうが安心したくらいで、黒門町、これは徹頭徹尾《てっとうてつび》当方の間違いであったぞ、許せよ。なんかと、満谷剣之助、いい気もちにそりかえって、そのまま捕方《とりかた》をまとめて帰って行った。
こうして、人ちがいという笑いで、その場は済んだのだったが、そうして委細承知《いさいしょうち》で救いの手を伸ばしておいて、知らぬ顔して帰って行く金山寺屋の音松のうしろ姿に、思わず掌《て》を合わせた壁辰とお妙――さては、二度の捕繩をあやうく逃れた当《とう》の神尾喬之助、あとで三人、あたまを捻《ひね》って考えた。
今夜だけは、あの金山寺屋の取りなしで、ああして事なく治まったものの、とにかく、この家にこうしていることは、危険この上ない。お妙は、どう考えても、離《はな》しともない喬之助であったが、愛すれば愛するだけに、逮捕《たいほ》の危険にさらしておきたくないのである。
ポンと膝《ひざ》を叩《たた》いて、お妙の思いついたのが、いま金山寺屋に教えられた、その、神田帯屋小路の喧嘩渡世、茨右近という人。
そこへやれと言わんばかりに、金山寺屋は、神田の場処《ばしょ》までも、詳《くわ》しく知らせて行ったのである。
「金山寺屋さんは、わざと間違って呉れたのでしょうが、ことによると、ほんとに似ていなさるかも知れませんよ」
お妙がいった。これで一決して、翌朝、こうして職人姿の神尾喬之助をつれて、いま帯屋小路の家をおとずれて来た、黒門町の壁辰親分である。
四
「はい、これは、喧嘩屋の先生でいらっしゃいますか。手前は下谷の黒門町に左官職をいとなんでおりまする壁辰と申す者でございます。どうぞお見知りおきを願います。またこちらはお内儀《ないぎ》、いや奥様」
「何でもようございますよ。ほほほ、知らずのお絃というあばずれでございますよ」
「いや、恐れ入りましてございます。ところで先生――」
「挨拶なんかいいや、気が短《みじけ》えんだ。喧嘩かい」
「まあ、お前さん、そんなにお話を急ぐもんじゃアないよ。――いえね、気はいい人なんですけれど、お侍のくせで、口がぞんざいなんでございますよ。どうぞ気にかけないで、何でもお話なすって下さい」
「いえ、痛み入ります。実ア喧嘩も喧嘩、これから、れっき[#「れっき」に傍点]としたお城づとめのおさむれえさんの首が十七、ころころころと転《ころ》がり出そうてエ瀬戸《せと》ぎわなんで」
「何? 武士の首が十七、こ、ころがろうといたしおると! ど、どこだ? これから参る。お絃、刀を出せ」
「いえいえ、一つずつ、順々に転がるかもしれねえという話なんで――」
「何だ、話か。落ちついて物を申せ」
「お前さんこそ落ちついてお聞きなさいよ」
「だからヨ、一てえその十七の首はどこの誰で、また、何《なに》やつが何《なん》のために、十七の首をころがそうてえのか、それから聞こう」
「はい。この私のうしろに控《ひか》えておりまする若い衆、これはただの若い衆ではございません」
「うむ。おれア実あ、さっきからそいつを見て愕《おどろ》いているんだが、まるでおいらにそっくり[#「そっくり」に傍点]じゃアねえか。なあお絃」
「ほんとにそうだよ。あたしも、このお職人が、黒門町さんのあとについて上って来た時には、まるでお前さんが二人出て来たようで、ぎょっとするほどびっくりしたよ。ちょいと! 見れば見るほど、生きうつしだねえ。あれ、笑うところなんか、まあ厭《いや》だ。何だか気味《きみ》が悪いよ」
「おれも、見ていると、何だか妙な気もちになってくる。この俺がおれだか、そっちのおれが俺だか、どっちの俺がおれだか、それとも俺でねえのか――」
「ややっこしいことをお言いでないよ。たださえ、ややっこしくなって来ているんだから――」
「やい、てめえは何だ。まさか俺《おれ》が化《ば》けたんじゃアあるめえな」
「いえ、実あ、今日|伺《うかが》いましたのは、このお方のことなんで――この黒門町が、強《た》ってのお願いと申しますのは――コレ、神尾さま、あなた様からも、何とか御挨拶して下さいまし、わっしにばかり喋舌《しゃべ》らせねえで」
「いや、拙者《せっしゃ》も、あまりに似ておるので、口が利《き》けんほど驚愕《きょうがく》いたしおるところだ。その拙者が拙者か、この拙者が拙者か――ことによると、かの金山寺屋とやらは、本心から取り違えたのかも知れぬぞ」
「全く。この黒門町も、今はそうじゃアねえかと思っておりますよ
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