で――あの出羽、いや、祖父江出羽さまのお眼に留まって、田万里から伴れ出されてから、今までどこにどうしてお暮らしなされた――。」
と彼は、真剣の色を面《おもて》にあらわして、小信の顔をさし覗くのだった――。
相手は、うつ向いて袂の端を弄んでいるきり、答えない。
お多喜は先刻《さっき》、八幡のお社の縁の下で、この小信を発見《みつ》けて家へ伴れ帰った顛末を話した後、
「気が違っておいでなんだもの。何を訊いても、分別《ふんべつ》のつくわけはないよ。それにしてもお前さんは、あたしの識らないことばかり言い出すんだねえ。祖父江出羽守だの、田万里だのって――この女は小信さんって名で、その伴何とかさんの姉さんだって。」
お多喜が不審に思うのは当然で、有森利七の宗七は、じぶんの出身については、女房のお多喜にも何ひとつ明かしてないのである。
夫婦《ふたり》の会話《やりとり》をぼんやり聞いている小信は、まるで薄桃色の霞のなかに生きているような気がするだけで。
何の記憶も、意識もない。
だが、いま――。
田万里、祖父江出羽守、伴大次郎――という名を耳にしたかの女のこころに、朧気《おぼろげ》ながら
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