くれようとは思われぬ。また、こんな化物が傍におっては、その方も飯がまずいであろう。私は、自決を考えておる。」
 千浪は、なみだの下から、
「またしても、そのようなことを――。」
「ええいっ! 言うな。そちはわしに鏡を見せんように気を配っておるが、今こそこの顔を見てやるぞ。」
 言ったかと思うと大次郎の法外、そこの縁にあった洗面の金盥を両手に取り上げ、さっそく水かがみ――。
 ハッキリ映って見える恐ろしい己が形相!
「ぷっ! かほどまでに変っておろうとは!」
 庭石に、はったと金盥を投げ棄てた法外。
 ――その夜である。彼が道場をも妻をも捨てて家出したのは。
 白絹の紋つきに白の弥四郎頭巾。女髪《にょはつ》兼安を腰に。
 この時から、江戸の巷に、二人の祖父江出羽守が彷徨《ほうこう》することになった。

     風過ぎ雁去って

 一つには、この自分――千浪のために、また父法外の仇敵である、あの弥四郎頭巾の一団とお花畑で渡り合って、全身満面に刀痕を受けた伴大次郎、改め二代法外である。相変《そうがわ》りのしたのも自分のせいと思えば、その恐ろしい顔も、千浪は、眼に入らなかったのだが――。
 
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