ておるかと言って、毎日のように千浪さまを責めるのだ。このごろの千浪さまは、なみだの乾くおりもなく、まことにお気の毒な様子だ。」
「が、大次郎先生のお身になってみれば、それも無理がないのう。」
「ほら、聞えるだろう。かすかに、千浪さまの泣き声が――ああまた、無理難題を持ち出されて、困っておられるのだ。」
 じっさい、あたりを憚《はばか》る低い啜り泣きの声が、廊下つづきの母家のほうから、あるかなしに伝わり聞えて来るのだ。
 その母家――奥の書院で。
 大次郎改め、二代目伴法外が、血相を変えて縁に立ちはだかり、その足もとに、眉のあとも青い若妻千浪が、泣き濡れて倒れていた。
 伴法外は、片方の眼の上、顎、頬、額と、その他顔じゅういたるところに大きな傷を負って、傷口はもはやふさがっているとはいうものの、昔日の美青年の面影はすこしもなく、じつに、見る人をしてぞっとさせる、恐ろしい顔つきである。
 顔とともに、その性格も一変したに相違ない。この日ごろ、ことごとに荒あらしい言葉を吐いて、やさしい千浪を苦しめ、苛《さいな》むのである。
「いやいや、何と言っても、こんな顔になった大次郎を、そちが守り通して
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