をあけると、狭い土間の取っつきに、夏なので障子をとり払い、すだれが二枚、双幅のように掛かっている。
宗七と二人きりの、小さな家で、雇人を置く生計《くらし》でも、身分でもない。
「さあ、あなた、ずっとお上り下さいまし。ずっとと申しても、この一部屋なんですけれど。」
そう言ってお多喜は、女を抱きかかえるようにして上った。
畳の焼けた六畳の間。壁に、三味線が一つ、ぶらりと下がっているので。
「あなたはほんとにここを、御自分のお家と思召して、ゆっくり寛《くつろ》いで下さいましね。」
狂女は、わかったとみえて、お多喜のまえに横ずわりにすわって、ぼんやりとそこらを見まわしている。
「お名前は何とおっしゃいますの?」
子供に言うように、お多喜はゆっくり話しかけてみたが、狂女はやはり答えないで、今度は、うつ向いて、さめざめと泣きだすのである。
気ちがいだとは思っても、お多喜は呆気に取られながら、
「お宅はどちらですか。」
もとより、通じようはずはない。
自宅《うち》へは連れて来たものの、人手のないところへこのまま置くわけにはゆかず、それかと言って、抛りだすような無情なこともできなくて困
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