お多喜は解せぬ面持ち、
「何を言ってるんですよ。寝言をいってるのかえ。」
すると、女、犬のようにざかざか這って、縁の下を出て来たかと思うと、お多喜の前にすっくと起ち上って、
「ほほほほほ! あなたのお顔に、蝶々がとまっていますえ。」
お多喜は、ぎょっとして飛び退《す》さった。
女は、お多喜の顔とは別の方角へ、おろおろと落ちつかない眼を据えて、
「あれ、あれ! 蝶々が二つも! 女蝶男蝶! ほほほほほ――。」
白い脛も露わに、よろよろと歩きだしてくる。さながら蝶を追うような舞いの手ぶりよろしく。
保名狂乱《やすなきょうらん》――ではないが、女は、無残に狂っているのである。
人品、言葉つきも卑しくなく、相当の生活《くらし》をした女に相違ないが、いくらか、これにはよほど深い事情がなくてはかなわぬとはいえ、なんという気の毒な――と、お多喜は、しばし宗七のことを忘れて、その狂女のありさまを打ち守るのであった。
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お参りに行って会ったのだから、これを助けるようにという神様のお示しであろうと、お多喜は、嫌がる女を伴れて、早々に櫓下の自宅へ帰って来た。
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