、どこにいるのか知りませんけれど、しっかり護ってやって下さいまし。」
とお多喜は、まるで相識《しりあい》の人に話しかけるような心易《こころやす》い言葉で、八幡様に向い、なおも口の中で、
「いえね、十日ほど前、どこへ行くとも言わず、着のみ着のままでぶらりと出て行ったきりなんです。どうせどこかへしけ込んで現《うつつ》を抜かしているにきまってます。そりゃあね、女狂いはあの人の病ですから、あたしゃとうから諦めてはいますけれど、ただ一日も早くあたしという女房と、この深川の家を思い出して、帰って来ますようにお願いいたします。遠くへ突っ走りませんように、なにとぞ足どめを――。」
森閑とした朝の神社だ。奉納の石燈籠、杉並木、一直線の長い参詣道――人っこひとりいない。
粋《いき》な浴衣に、ずっこけに帯を結んで、白い顔に眉を寄せて一心に拝んでいるお多喜、凄いほど眼鼻立ちの整った、二十五、六の女である。宗七とともに恋慕流しの三味線を引いて、街から街と流し歩くのが稼業《しょうばい》で。
その、良人《おっと》で、商売の相手の宗七がもう十日も家に寄りつかないので、思いあまったお多喜、こうして近くの八幡様へ
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