真下の猿の湯に千浪の裸体《はだか》をさんざん眺めあきたかれ佐吉、ふたたびかるく枝をゆすぶって、元の小径へとんと[#「とんと」に傍点]跳びかえると、
「いい女だなあ。どうやら、山の娘っこじゃあねえらしいぜ。おいらの面さえ、こんな化けものでなかったら――。」
 と心から口のなかで呟いたが、恐ろしいことに触れたようにぶるぶると口びるを鳴らして、かれはさっさと歩き出していた。葛籠笠の奥ふかく、にたり、にたりと蒼い微笑を洩らしながら。
 谷について一町ばかり上ると、こんもりした森の向うに、小さな家の集団《かたまり》が見える。阿弥陀沢の部落である。なかに、庄屋づくりの白壁の家が、一軒しかない。旅籠藤屋なのだ。
 ここへ泊るのだろうと思いのほか、文珠屋は、村の入口から道をかえて、不意に横へきれた。
 胸を突く小坂が、まっすぐ、宵やみの雑木林の奥へ消えている。三国ヶ嶽の登山ぐちである。
 これから上に、家はない。
 この夕方から夜みちをかけて、文珠屋佐吉、三国ヶ嶽へのぼろうというのだろうか。
 なにしろ――。
 そして、この文珠屋とは何者?
 間もなく、佐吉のつづら笠は、あみだ沢の家々を遠く下に見て、
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