山に渦紋を招き、伴大次郎は禁制の女髪剣に陽の目を見せて、いよいよこの紛乱にいっそうの血しぶきをくれようとしている。
 きのうの宵、三国ヶ嶽の月が笠をかぶったのは、ただ、昨夜のお山荒れをだけ予言したのではなかった。この、人界の血の暴風雨と、それから捲き起る万丈の波瀾を警告したのではなかったろうか。
 そして、このすべては、善も悪も「煩悩」の二字が操るように人を動かして。
「まいるぞ。」
 しずかな声で、大次郎が言った。
 と、瞬間に、正面の北伝八郎を襲うと見せた大次郎、だっ! 横ざまに足を開いて、右手にいた一人へ片手なぐり――女髪兼安は、がっと聞える異妖なよろこびの叫びを揚げて、肉を咬《か》み、骨を削った。
 たら、たらと、女髪を伝わって鍔もとを舐める温かい人血。
「ふふん、こりゃそうとうできる!」
 中之郷東馬がそう言ってにやりとすると、大次郎も笑いながら、
「お賞《ほ》めにあずかって――それでは、次ぎは貴殿へゆこう。」
 くるりと、斬尖《きっさき》を東馬へ向けた。

     入道雲

 もう、伴大次郎は、伴大次郎ではなかった。下谷の小鬼だった。
 間もなく――一人ふたりと女髪兼安を
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