んな崩れ
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「いとど焦るる
身はうき舟の
浪に揺られて
島磯千鳥
れんれ、れれつれ
れんれ、れれつれ。」
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灯《ひ》の艶《なま》めかしい、江戸の花街《いろまち》で聞く恋慕流しを、この深山の奥で――大次郎は耳を疑いながら、弾かれたように三角石を離れて、神社の横の甲斐口へ向い、両手で声を囲んで、
「おうい!」
突き上げて来る感激に、胸がふるえる。
甲斐ぐちから登ってくるなら、有森利七に相違ないが、きゃつめ、女色煩悩を引き受けて七年むかしに山を下ったのだけれど――今この、灰《あく》の抜《ぬ》けた恋慕流しの咽喉《のど》から察するに、相当その道に苦労して、女という女を見事征服してきたに相違ない――。
大次郎の口辺に、友へのなつかしさが微笑となって浮かんで、
「おうい――!」
もう一度呼ばわると、唄声は、ぴたりと止んだ。
「有森ではないか。利七ではないか――伴だ! 大次だ。待っておったぞ。」
神社の横手から熊笹の中を、だんだら下りの小径《こみち》が、はるか甲斐の国のほうへ落ちている。その降り口まで走り寄って大次郎が下を望むと、
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