きるおやじだ。一言いうと、黙って小刀が飛んで来て、ぱらり、十本の指が飛んだ。それから――それから、押さえつけられて、額部《ひたい》に墨で何か書かれたまでは覚えているが――。」
二階は、しんとしている。
暴風雨は、ちょっと小止《こや》みになって、一瞬間の不気味な静寂――階上には、法外父娘の部屋の障子に、ぼうっとあんどんの灯が滲んで人のいそうもない気配。
呼吸《いき》を詰めて一同が、はっと階上《うえ》を見上げたせつなである。
「うわっ! こりゃ、なんとしたことじゃい! この猿の湯でお猿さまを斬り殺すとは――!」
土間の男衆が、つん裂くような声で叫んだ。
と、見る。片手に傘をさし、かた手に小さな猿の死骸をぶら下げた祖父江出羽守が、切戸を潜って、のそりとはいって来ている。
「畜生のくせに、湯へはいりに来おったから、一刀のもとに、このとおりじゃ。四足を斬った刀は、滅法切れると言うことじゃぞ、ははははは。」
「じゃが、旦那、殿さま、お猿さまは、この猿の湯の守り神で、あれは、お猿の湯へ人間が入れて貰っておるというくらい――ああ、こりゃ、とんだ崇りがなければよいが。」
おろおろと立ち騒ぐ男
前へ
次へ
全186ページ中52ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング