ら夏を飛んで、すぐ秋虫の音を聞く山家住まい、あみだ沢は山あいに五、六軒の草葺《くさぶ》きが集《かた》まって炭焼き、黒水晶掘り、木こりにかりうど、賤機木綿《しずはたもめん》、枝朶細工《しだざいく》などを生業《なりわい》の、貧しい小部落だった。
 が、温泉《いでゆ》が出る。と言っても、部落から小半町下りた谷間の岩に。
 稀《たま》に、山越えの諸国担ぎ売りが宿をとるくらいのもので、もとより浴客《よっきゃく》などはないのだから、温泉とはいっても、沢の底の奇巌のあいだに噴き出るに任せ、溢《あふ》るるままに、ちょうど入浴《はい》りごろの加減のいい湯が、広やかに四季さまざまの山の相《すがた》をうつしているだけ、村びとは屋根ひとつ掛けず、なんらの手も加えていない。
 岩からいきなりあつい湯へ飛びこんで、鼻唄まじりに富士をあおごうという寸法。
 風流――などとは他国者のいうことで、遠国から旅をかけてわざわざ湯にはいりに来るものがあろうとは、阿弥陀沢の人は、何百年来誰ひとり考えてみたこともなかった。
 湯治《とうじ》などという語《ことば》は、あみだ沢にはないのだった。
 で、前の谷の猿の湯は、長いこと、猟
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