と――これにはおおいに事情《わけ》がなくてはならない。

     狂笑剣

 ど、ど、どうっ! と屋根を轟かし、この藤屋を揺すぶって、三国おろしが過ぎる。
 二つ三つそこここに立てた行燈の灯が、すうっと薄らいで、また、ぱっと燃え立つ。
 酒乱の中之郷東馬、山路主計らの赤い顔が、瞬間、朱盆のように浮き上って見える。
「さあ! 殿のお声掛りじゃ。天下晴れて娘を引き摺《ず》って来い。」
「君命、もだしがたし――か。」
 そんなことを言って、川島与七郎は、足早に階段を上って行く。
 さかずきを口に、誰かが、
「君命ときた。こういう君命なら、貴公、いつでも引き受けるだろう。」
 与七郎が、上から答えて、
「うむ。買って出たいところだ。あはははは。」
 と、すぐ階上では、与七郎が法外先生の部屋の障子を開けたらしく、何かごそごそ言い合う声が、かすかに聞えて来る。
 階下の座敷では、一同しばらく天井へ注意を集めて、聴耳を立てていたが、やがて、東馬が、
「だいぶ手間取るらしい。」
「そりゃそうじゃろう。なにしろ、見ず知らずの武士の娘を、酒席へ引っ張り出そうというのじゃからな。」
「なあに、老いぼれが一
前へ 次へ
全186ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング