くれぐれも言うておくが、大次、けっしてその兼安を抜いてはならぬぞ。抜けば血を見る。や、こりゃ、わしとしたことが、門出に不吉な! 千浪、許せ。ははは、気に留めるな。じゃが、大次郎、刃元に浮かぶ一線の乱れ焼刃、刀面に、女の髪の毛と見えるものが、ハッキリ纏《まつ》わりついておる。人呼んで女髪兼安《にょはつかねやす》、弓削家代々の名刀じゃ。しかし、必ずともに、その女髪を見んとて、鯉口《こいぐち》三寸、押し拡げるでないぞ。抜かぬ剣、斬らぬ腕、そこが法外流の要諦《ようてい》じゃ。女髪を覗いて、伝えらるるがごとく、邪心を発し、渦乱を捲き起してはならぬ、よいか。」
「女髪兼安の由来、かねがね承わって存じております。抜きませぬ。御免!」
「おう、行くか。」
「お気をつけなされて。」
阿波の住人、右近三郎兼安|鍛《きた》えるところの女髪剣。鮫は朝鮮の一の切れ、目貫は金で断の一字、銘を天福輪《てんぷくりん》と切った稀代《きだい》の剛刀――ぐいと、背後《うしろ》ざまに落とし差した下谷の小鬼、伴大次郎、黒七子の裾を端折ると一拍子、ひょいと切戸を潜って戸外《そと》へ出た。
まっ黒な夜ぞらの下、銀の矢と降る雨、
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