気《おしげ》もなくその身体《からだ》を湯に嬲《なぶ》らせて、上ることも忘れたふうだった。
逢魔《おうま》が刻《とき》という。
山の精にでも憑かれたのか――やがて、涼しい声が千浪の口を洩れて、
「ひとうつ、ふたあつ、三つ――、四つ、いつつ、六つ、七つ――。」
数を唱《とな》えだした。興に惹かれるまま唄のように節をつけて底の礫《こいし》を読んでいるのだ。
「九つ、十、十一――。」
一つは二つと、思わず、声が高くなった。
その声が、魔を呼んだのである。
「はてな――?」
と小首を傾けて、その時、この阿弥陀沢の頂きを急ぎ足に来かかった葛籠笠《つづらがさ》が、はたと、草鞋《わらじ》を停めた。
「声がする。待てよ。女の声のようだが――。」
ふかいつづら笠に面体は隠れて、編目の隙に、きらりと眼が光るだけだが、道中合羽《どうちゅうがっぱ》に紺脚絆《こんきゃはん》、あらい滝縞の裾を尻端折《しりばしょ》って、短い刀を一本ぶっ差した二十七八《しっぱち》のまたたび姿。
「ううむ! 好い声だなあ。この文珠屋佐吉《もんじゅやさきち》の足をとめる声、聞いていて、こう、身内がぞくっ[#「ぞくっ」に傍点]
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