にはっとした顔を上げて大次郎を凝視《みつ》めた。
猟くら悲誌
こんな山奥――三国ヶ嶽のふもとの阿弥陀沢に、猿の湯などという温泉のあることは、千浪はもとより、弓削法外も知らなかったので。
ここへ入湯に来ることを言いだしたのは、この門弟筆頭の伴大次郎なのだった。
しばらく暇を貰って三国ヶ嶽へ往ってきたい――下谷練塀小路の道場で、こういきなり大次郎が願い出た時、師の法外はちょっと考えて、わしも一しょにと膝をすすめた。そして、娘の千浪を連れて、と。
それならば、ちょうど、山のすぐ下に珍しい湯の宿があるから暫時《ざんじ》それに逗留《とうりゅう》なさるのも一興であろうと、この大次郎のことばに従って、道場は留守師範の高弟に預け、父娘師弟の三人づれ、そこはかと江戸を発《た》って来たわけ。
これが、もう、半つきほどまえのこと。
山中、暦日なし。
のんべんだらりと滞在して、山の宿屋めしにもあきてきたが。
元来法外は、じぶんもいささか旅にでも出て都塵《とじん》を洗いたい気持ちもあったし、それよりも、気らくな旅の起《お》き臥《ふ》しに、まず二人を親しませたい心づかいから、折から大
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