に、近く仮祝言でもといわれて、われにもなく頸すじまで真っ赤にしてさしうつ向いた千浪を、大次郎はいつにも増して好もしく、愛《いと》しく思いながら、
「じつは、私の身に秘めた大事なのですが――。」
と、口をひらいた。
夏といっても序の口なのに、高山《やま》の暦は早い。沈黙が部屋に落ちると、庭に取り入れたうら山々、しんしんと降るような虫の声。
とたんに、
「おう! あれを見さっしゃれ。三国さんの肩に、月が葛籠笠をかぶりおるわい。」
宿の男衆の大声が、階下の土間に湧く。
変なことをいうと思っていると、いあわせた土地の人が、つづいて覗きに出たらしく、
「わ、こりゃなんとしたことじゃい。皆の衆、出て見やれ。三国ヶ嶽のお月さんが、円ういつづら笠をお被《かぶ》りじゃぞえ。」
あとは、口ぐちに、
「月の笠じゃ。お山荒れの兆《しる》しじゃぞな。」
「ついぞないハッキリしたお被りものじゃが、えらい荒れにならねばよいて。」
「久しゅうお山がお静かじゃったが、あれで見ると、今夜のうちにもおいでじゃな。」
思わず耳をすました階上《うえ》の三人――。
重い夜風が部屋を走り抜ける中で、千浪は、何がなし
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