越しに、祖父江出羽守をゆび指した。
「そうだ、ここにいる。なんだ、こんなところに立っていたのか。」
「お侍さん、もう一度やってお見せなすっておくんなせえ。」
「もう一番お願えしやす。」
出羽守が気がつくと、人々の顔がいっせいに彼に向いて、なかには、前へ来てお辞儀をするもの、何本もの手が、背後からぐいぐいと押し、前から引っ張って、
「いやおれは違う。おれはこの居合抜きの侍ではない。」
出羽は頭巾の中で苦笑して、抗弁やら弁解やら――今さら城主の祖父江出羽だとも言えず、また言っても、殿様がこんな風態で、一人で歩いているなどは、誰も信じてくれるもののないのは知れきっている。
第一、殿様はいま、あの行列の駕籠に揺られて通って行ったばかり、今ごろは社殿で、厳粛に参拝していると思われているのだから――。
「違うも違わねえもありゃしねえ。お前さんは、今ひょっくり見えなくなったあの白覆面のお侍じゃあねえか。」
「着付けから紋まで同じだ。そんなことを言わねえで、もう一ぺんやって見せてくんなせえ。」
「違う! 違うと言うのに! これ、放せ、放さぬか。」
と、争いながら出羽は、群集の手で、とうとうその
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