しも安心したよ。」
 とお多喜は、そそくさとその見物人のなかの小信の背後へそっと寄って行く。
 群集看視のなかの大次郎は。
 当てもなく江戸の町を歩いたところで、いつまた祖父江出羽守に逢うともわからないし、それに、生きて行く生計《なりわい》も考えねばならぬ。
 かつまた、いつまでも妻の千浪を、のんべんだらりと文珠屋へ預けて置くのは、佐吉の好意に甘えすぎるようで、それも面白くないので、ああは言ったものの、一応千浪を引き取り、佐吉と相談の上で、大次がこの腕に覚えの居合い手品を始めたのだった。
 千浪は喜んで、一種独特、法外流門外不出の坐り方を大次郎に教わって、この相手を勤めることになったわけ。
 もはや会わぬつもりではあったが、ともに道場を出ている今は、そうまで堅く考えずともと、己れの恋を犠牲にした佐吉が懸命に仲に立って、こうして二人、恋慕流し宗七夫婦をそのままに、この大道芸は奇術駕籠《てじなかご》の辻芸人と落ちたのだった。始めから愛しきっている、大次郎の喜びもさることながら、やっと二人一緒に暮して行ける千浪の胸のときめきは、どんなであったろう。
 夢のような日のうちに、こうして江戸の町ま
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