かったが、ちょっと用たしに行ったお多喜がいま帰って来ると、格子を開けて土間へはいると同時に、そう驚きの声をあげたわけ。
「うん、いねえなあ。そう言えばさっき、土間へ下りてうろうろしていたようでもあったが――。」
「何を言ってるんだよ。お前さん。そんな呑気なことを言ってちゃあ、困るじゃあないか。弟さんの大次郎様とやらから、ああして大事にお預かりしている小信さん、気が狂って、まとまった考えがないんだもの。そこらをうろうろして、変な間違いでも起されたら、大次郎様に申訳がないじゃあないか。」
「うん、それはそうだ。なに、遠くへは行くめえ。お前、ちょっくら町内を一廻りして、探して来ちゃあくれめえか。
「あいさ、岡っ引の女房だもの、お安い御用だよ、ほほほ。」
怒るだけ怒ってしまうと、きさくなお多喜は呑気に笑って、からころ溝板を鳴らして、路地を出て行った様子。
あとで宗七は、また物思いに耽るのだった。
煩悩を背負って、三つに別れて下山した自分と、大次郎と江上佐助と。
爾来自分は女色煩悩を追って、この江戸の色街で文字どおり恋慕流しの流れの生活を送ったままいまのお多喜と一緒になって、表面は街の夜
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