は、どうやら今夜あたりから怪しいらしく、重い空気が暗い風となって吹き込んで来る。何か物売りの声が町を流して、この、日暮れ近い伝馬町は、江戸の代表のように、あわただしいのだった。
着衣から頭巾、それに着物の紋まで、何から何まで寸分違わぬ伴大次郎と祖父江出羽守と――まだこの祖父江出羽守を、良人大次郎とばかり思い込んでいる千浪は、
「でも、ほんとに、よくあそこでお眼にかかれました。あなた様が道場をお出になってからというものは、私は毎日のように家を空けて、お姿を慕って、江戸の町々をお探し申しておりました。今日こうしてお目にかかることのできましたのも父と、それから女髪兼安《にょはつかねやす》の引き合わせではないかと存じます。」
出羽は、頭巾のなかから不審気に、
「女髪何と仰せられたな? 何でござる、その、女髪云々というのは。」
「あれ!」と千浪はびっくりして、「あなた様は、あの女髪兼安のことをお忘れになったのでございますか。」
と、出羽が腰から抜いて、背後へ置いた佩刀のほうへ首をさし伸べた。
まごついた出羽が、
「おおそうであったな。うむ、この刀のこと、さよう、さよう。」
大声に笑うと
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