てくれ。」
 そして、ぶらりと文珠屋を立ち出でて行った。
 もしこの時佐吉が、さっき宿を取ったという女伴れの奇態な武士のことを、いっそう詳しく与助に訊くか、また与助のほうから、この武士のことをもうすこしよく話しでもしたら、彼はこうして下谷へ出向かずに、この事件だけは、ここで手っ取り早く結末がついたであろうに――。
 勢い込んで出かけて行った佐吉と由公を見送った与助は上り口に立ったまま、じっと両手を組んで、梯子段の上へ耳をすました。
 と、いうのは。
 この時、二階の裏座敷、「梅」と名づけられた一室では――。
「うむ、よく来てくれた。いや、下谷の道場を出てから、拙者はずっとここに身を潜ませておったのです。どうだな? 珍しいところであろうがな。」
 出羽守はそう言って、弥四郎頭巾の間から、白い眼を光らせて千浪を見遣った。

     はぐれ鳥

 この文珠屋では、上等の客間なのであろう。八畳の座敷に三畳ほどの控えの間がついて、床には何か軸が掛かっている。
 その前に大胡坐をかいた祖父江出羽守は、前に坐っている千浪へ、ちらちらと視線を送りながら、上機嫌だった。
 秋に入って、照り続いた空模様
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