と砕《くだ》け揺れる。
「お猿が怪我をすると、何十里ものお山を伝わっても、この阿弥陀沢のお湯へはいって癒しに来るという。いつかも、負傷《ておい》の子猿を伴れた親猿が、この近所の木に棲《す》んで、何日もお湯へはいっていたという里の人のはなしだった。だから、いつのころからともなく猿の湯と呼び慣らわしてきたのだとのこと。それで、お猿が入浴《はい》っている時は、人間は遠慮して、できるだけ邪魔をしないのだそうな。」
 と思い出した千浪は、今にも猿が来はしまいかと、急に恐ろしくなって、いそいで湯壺を出た。
 人の見る眼はないが、むすめ十九、裸身《はだかみ》を屈ませて小走りに、素早く岩かげへ廻ると、何の設備《しつらえ》もないとは言え、女性の浴客のために建てられたささやかな脱衣場がある――竹を立て、莚《むしろ》をめぐらしたほんの掘立小屋。
 ここへはいって、すぐ大きな矢羽《やばね》の着物に帯を廻した千浪は、
「まあ、いつの間にか、こんなに暗くなってしまって。ほんとに、わたしとしたことが気の強い。さぞお父様や大次郎さまが御心配のことでしょう。」
 七月の初めではあるが、山は、夏を知らない。生乾《なまかわ
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