千浪は、嬉しさにわれを忘れて、
「あれからずっとお探し申しておりましたが、運よくお眼にかかれて、わたくし――ささ、とにかく一応道場へお帰り下さいまし。千浪の心も、よっくお話し申し上げたいと存じますから。」
人の輪のすぐそとの立ちばなし。
高札に気を取られている群集の耳には、入らないらしい。
大次郎――と思われる人物は、その、弥四郎ずきんの中の眼を、かすかに笑わせて、千浪! さてはこの、あの猿の湯の藤屋にいた江戸の武芸者の娘は、千浪と言うのかと、ひとり合点《うなず》いた様子で、
「大次郎か。わしがその大次郎ということが、千浪殿にはよくおわかりになられたな。」
「はい。それはもう――。」
この江戸に。
白の弥四郎頭巾に白の紋つき――同じよそおいの伴大次郎が二人、あるいは、祖父江出羽守がふたり、さまよいあるいていることを、千浪は知っているはず、忘れるわけもないのだけれど、これと思う姿を人中に認めた喜びのあまり――千浪、この瞬間やはり忘れていたに相違ない。
恥らいを含んでそう言いながら、にっこり覆面を見上げると、
「さほどまでこの拙者を――かたじけない。千浪どのと伴れ立って道場とや
前へ
次へ
全186ページ中110ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング