け裏、江戸の地理にはことごとく通じていた。こうして屑拾いになりすまして種を上げる。犯人を尾ける。役得でもないがいろいろの落しものを拾って来る。時には善根顔《ぜんこんがお》に、病気の仔猫などを大事そうに抱えこんでくる。親分の釘抜藤吉はじめ、勘弁ならねえの勘弁勘次、この葬式彦兵衛、まことに変物揃いの合点長屋であった。
「大変とは大いに変る。こりゃあ理窟だ。」
 唐人唄を中止した彦兵衛、きょうも早朝から紙屑拾いに出かける気か、笊《ざる》を背に、長い竹箸を手に、ぶらりと出て来て、こう常吉と勘次へ半々に、挨拶でもなく、茶化すでもなく、いつもの無表情な顔でしきりに感心しているところで、やにわに家のなかから藤吉の声がした。
「大鍋のお美野さんがどうかしましたかい。」
 渋い太い、咽喉のかすれた巻舌である。釘抜藤吉、起きて聴いていたのだ。

      三

 宗右衛門橋から比丘尼《びくに》橋、いわゆる大根河岸に沿った一劃を白魚屋敷といって、ここに一般に大鍋と呼ばれている鍋屋という大きな旅籠がある。
 訴訟用で諸国から出府する者のための公事《くじ》宿と、普通の商人宿を兼ねていて、間口も広く、格式も相当
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