ように冷たく、低く聞えて来た。
「かんかんのう、きうのれす、きうはきうれんれん、にいくわんさん、いんぴんたいたい、しいくわんさん……。」
 文化の末、大阪の荒木座で道楽者の素人芝居があって、その時人気を呼んだ唐人唄と称する与太ものなのだが、これが江戸へもはいって、未だちょいちょい流行っている。それはいいが、今その唐唄《からうた》をお経のように厳《おごそ》かに唱えながら現れたのは、藤吉第二の乾児――といっても二人きりなのだが、その二の乾児のとむらい彦、葬式彦兵衛だった。
 勘次があくまで鉄火者なのに引きかえて、この下っ引の葬式彦兵衛は、まるで絵に描いた幽霊のような存在で、しじゅう何かしらこの唐人唄のようなことを、ぶつくさ口の中でつぶやいているのみか、紙屑籠を肩に毎日江戸の巷を風に吹かれて歩くのが持前の道楽、有名な無口《だまり》家で、たいがいの用はにやり[#「にやり」に傍点]と笑って済ましておくが、そのかわり物を言う時には必要以上大きな声を発して辺りの人をびっくりさせた。そして、超人間的に感覚の発達した男だった。朝も晩も鉄砲籠を肩に、足に任せてほっつき廻っているので、大路小路の町名、露地抜
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