の腰を打つしきたりも、江戸をはじめ諸国に見られた。が、この本八丁堀三丁目をちょっと横に切れた合点長屋の藤吉部屋は、親分乾児の男三人、女気抜きの世帯だから、小豆粥は粥でも、杖でたたく柳の腰は持ち合わせがない。それでも、世間なみに松かざりだけは焼いておこうと、さてこそ珍しく勘次の早起きとなったのだが――「勘弁ならねえ」の喧嘩口調で、※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》るように取った型ばかりの門松や注連繩を、溝板を避けて露地の真ん中へ積み上げた勘次が、六尺近い身体を窮屈そうにしゃがませて、舌打ちとともに燧石《ひうち》の火を移そうとしていると――角の海老床、おもて通りの御小間物金座屋、あちこちで雨戸を繰る音。
小蛇の舌のような炎が群立って、白いけむりが、人のいない露地を罩《こ》める。
と、その時である。あわただしい急足が合点小路へ駈け込んで来て、頭天《あたま》のてっぺんから噴き出すような声が、勘弁勘次の耳を打った。
「たっ、た、大変だ、大変だ! おっ、親分|在宿《うち》かえ。」
二
江戸っ児のなかでも気の早い、いなせ[#「いなせ」に傍点]な渡世の寄り合っ
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