亀島町の薬種問屋近江屋がお年玉に配った新《あら》の手拭いを首に結んで、ここ合点小路の目明し親分、釘抜藤吉身内の勘次は、いつものとおり、こうして朝っぱらから大元気だった。
いい気もちそうに、しきりに声高に唄いつづけている。
「可愛がられた竹の子も、いまは抜かれて割られて、桶の箍《たが》に掛けられて締められた――ってのはどうでえ。勘弁ならねえや。ざまあ見やがれ。」
起き出たばかりの勘次である。まだ眠っている露地うち、自宅の軒下に立って、こう独りで威張りながら、せっせと松注連《まつしめ》飾りを除り外しているのだった。
嘉永二年、一月十五日。この日、はじめて無事の越年を祝って、家々の門松、しめ繩を払い、削り掛りを下げる。元日からきょうまでを松のうち、あるいは注連《しめ》の内と称したわけで、また、この朝早くそれらのかざり物を焼き捨てる。二日の書初めを燃やす。これは往古《むかし》、漢土から爆竹の風が伝わって、左義長《さぎちょう》と言って代々行われた土俗が遺っているのである。おなじく十五日、貴賤|小豆粥《あずきがゆ》を炊くのは、平安の世のいわゆる餅粥の節供で、同時に毬杖《ぎっちょう》をもって女
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