を押すことができる。他にどこも消えるところはないのだから、それなら、屍骸はやはり自力で引き競ってきたのだろうか――。
 それとも、またこの室内《へや》に何者か潜んでいて――無言で顔を見合っていた宇之吉と初太郎は、はっとわれに返ったように、互いに警戒し合いながら、押入れの奥、念のために寝床の中まで掻き廻してみたが、広くもない部屋、ほかに隠れ場所はない。どこにも、お美野のほか人のいた気配さえないのである。
 その時、ふたりの動きで夢を破られたお美野の妹の文字若が何ごとが起ったのかと睡そうな顔で二階へ上って来た。

      六

「へえ、ただいま申し上げたような、そういうわけでございます、へえ。」
 語り終って、ぴょこりと頭を低げた小金井穀屋の番頭初太郎を、釘抜藤吉の針のような視線が、凝《じ》っと見据えていた。
 大根河岸は、露を載せた野菜の荷足《にたり》とその場で売買いする市場とで、ようやく喧嘩のようにざわめき出していた。その人混みを割って旅籠屋の大鍋へ着いた藤吉の一行は、すぐ、死体の引きずり上げられた階上のお美野の寝所へ通って、初太郎、宇之吉、文字若の証言《はなし》を、こうして藤吉は
前へ 次へ
全36ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング