初太郎は、眼をこすった。見直すまでもなく、女だ。女の首吊だ。この鍋屋のお美野だ。
「うわあっ!」と、両手を頭のうえに振り廻して、初太郎は、弾《ば》ね仕掛けのように躍り上っていた。
「お女将さんだあ――!」
ここは大鍋の別棟で、母家とは庭つづき、客が立て混まないかぎり、普段は家うちの者が寝泊りをするところとなっているのだが、その晩は混んでもいたし、それに、小金井の初太郎は以前《まえまえ》からの定客なので、なかは内輪あつかいにその部屋を当てがわれたのだ。で、初太郎の真二階《まうえ》は、女将お美野の寝床になっている。だからお美野は、じぶんの居間の縁側から、細引きで、階下の初太郎の縁のそとへ吊り下っているわけで、首吊は、初太郎のほうへ背中を向けているのだが、そのお美野の着ている荒い滝縞の丹前に、初太郎は覚えがあった。宵の口から風邪気味だといって、お美野は先刻帳場でもその丹前を羽織っていたことを、かれは思い出した。首吊の髪は、手拭いをぐるぐる巻きに結い込んでいる、俗にいういぼじり[#「いぼじり」に傍点]巻きである。頸に細引きがかかって、それでぶら下っているのだろうか、綱は、暗くて見えなかった。
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