のでございましょう。遅うございますねえ。」
不時の姉の死に、取り乱すだけ取り乱した後の、脱けたような放心状態にいる文字若だった。鈴のような眼を真っ赤に泣き腫らして、屍骸《ほとけ》の傍に坐わっていた。撥《ば》ちだこ[#「だこ」に傍点]の見える細い指で、死人の顔を覆った白布を直しながら応えた。まくら頭《もと》に供えた茶碗の水に線香の香りがほのかに這ってく[#「く」に傍点]の字を続けたように揺らいでいる――。
「いっそ気が揉めますでございますよ。でも、町内の自身番から、お届け願ったのでございますから、すこし手間取れましょうが、追っつけお見えになりましょう。」
藤吉は、文字若へにっこりした。
「師匠、凶死だからのう、おめえも諦めが悪かろうが、ものは考えよう一つだってことよ、まあ、それがお美野さんの定命だったと、思いなせえ。あんまり嘆いて、ひょっとお前が寝つきでもしようもんなら、姉妹ふたりで他に見る者のねえこの大鍋の身上は、それこそ大変《こと》だからのう。」
「はい。御親切にありがとう存じます。あたしゃこの階下の宇之吉さんの向う隣りの部屋に寝んでいたのでございますが、なんですか、あんまり二階の姉の部屋で雑音《ものおと》が致しますので、変に思って上って来て見ますと、まあ、親分さん、姉がこの有様――どうぞ、仇敵を――姉ひとり妹一人の大事な人でありましたものを、ほんとに親分さん、お力で仇敵を取って下さいますようお願い申し上げます。」
「うむ。」藤吉は首肯《うなず》いて初太郎へ、「お前ら二人とも、この外の軒先《のきさき》に、お美野さんが吊る下ってるのを見たてえのだな。それが、ふたりが二階へ上って来る間に、部屋の真ん中に引き上げられていた――。」
「そのとおりでございます。」
初太郎と宇之吉が、ごくりと生唾を飲み込んで、一緒に合点合点をすると、藤吉の笑い声が、やにわに彦兵衛へ向けられた。
「やい、彦。屍骸が自力で、綱を伝わって上ったとよ。あんまり聞かねえ話さのう。」
七
「けっ! 面白くもねえ、大方二階から、綱を手繰ったやつがあるんだんべ。」
「きまってらあな。」勘弁勘次が口を尖らせて、「引っ張り上げておいて、縁から庭へ飛んで逃亡《ずら》かったんですぜ、ねえ親分。」
「ま一度ちょっくら、仏を拝ませておくんなせえ。」
藤吉はそう言って、お美野の死体の傍に躙《にじ》り
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